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「私は袴田巖ではなく神」

 このあとしばらくすると袴田はみずからを、「私は全知全能の神、唯一絶対の神だ」「袴田巖はもういない。私は全世界全権力者です」などと称するようになった。袴田の無実を確信し、その救出に生涯を捧げてきた姉・袴田ひで子が当時を振り返る。

「毎月一回必ず、東京拘置所へ面会に行っていました。巖は自分がいかに無実であるかをまくし立て、私はいつも相槌を打つばかりでした。毎回、逆にこちらが励まされるような感じだったことをよく覚えています。でも、死刑が確定して少し経ったときの面会で、怯えたような顔をして面会室に飛び込んで来て、震えるような声で『昨日、処刑があった。隣の房の人が、みなさんお元気でと挨拶し刑場へ消えてしまった。みんながっかりしている……』と訴えるように一気に言い、あとは声になりませんでした。相当なショックを受けていることがありありと感じられ、かける言葉すら見つかりませんでした」

 その後、拘置所の袴田からひで子に頻繁に送られてきていた手紙が途絶えるようになる。

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「私は袴田巖ではなく神。姉なんかいない。帰ってもらってくれ」

 こう言い放って、姉の面会を拒むようになったのもそのころだ。それでもひで子は毎月必ず、東京拘置所に面会に赴くことをやめなかった。

「面会を拒否されようが、巖の無実を信じて応援している人間はいる、ということをわかってもらうために通いました。会うことができなくてもいい。面会に毎月通ってきている人間がいるということは伝わると思っていましたから。拒否されて会えない辛い時期が長く続きましたが」

自分を保ち、死に抗う方法はこれしかなかった

 捏造された証拠で受けた死刑判決がついに確定し、絶望のあまり袴田の精神は蝕まれていったのだろうか。確定死刑囚となったからには近い将来、みずからの生命が国家権力によって断ち切られてしまう。刑が確定すると通常、数年の拘置所生活を経て処刑されるが、短い場合だと一、二年で執行される死刑囚もいる。袴田の場合、結果的に逮捕から四八年、死刑確定から三四年ものあいだ刑が執行されることはなく、拘置所に留め置かれた。その間毎朝、「お迎えが来るのではないか」という恐怖のなかで神経をすり減らしてきたのだ。

 一般的に刑務所などに長期間拘留されると、拘禁反応(拘禁症)といわれるノイローゼになることが多い。東京拘置所の医務官として勤務した経験があり、多くの死刑囚と接してきた精神科医で作家の加賀乙彦は、著書『死刑囚の記録』(中公新書)でこう指摘する。

〈不断に死とむかいあっている死刑囚は、死について考えないようにすることも、気ばらしに身を投じることもできない。そこで死刑囚は、ノイローゼになることによって死を忘れるのである〉

 袴田は神を信じていた。誤認逮捕され酷い捜査で起訴までされたが、神がいる限り自分の無実は裁判で必ず明らかになる。疑うことなくそう思っていた。しかし「絶望裁判」によって死刑が確定してしまった。身近にいる死刑囚が次々と処刑され、この世から排除されていく。強引な死が我が身に迫ってくる恐怖と諦念。神は存在しなかった。現実はなんと無慈悲で冷酷なのか。そうであるならば自分が神になり、近い将来やってくる死に打ち克とう。死を超える生を獲得しよう。自分を保ち、死に抗う方法はこれしかなかった。袴田には神に、強い自分にならなければならない理由があったのだ。

 神になった瞬間から、人間としての記憶は曖昧になった。失くしてしまったのかもしれない。あるいはどこかに存在してはいるのだが、一六〇センチあまりの小さな体の奥深くへ意図的にしまいこんでしまい、もはやみずから取り出すことが困難になってしまったのか。ひとつだけ確かなことは、記憶を取り出す必要がこれまでまったくなかったということだ。自分は袴田巖ではなく神なのだから。自分が自分であるために、みずから人間であることを超越する。己のアイデンティティーを確認するために、神になる。そうしなければ自分の存在が消されてしまうからである。