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「耐え難いほど正義に反する」

 逮捕から四八年が過ぎていた。

 二〇一四年三月二七日、第二次再審請求審で静岡地方裁判所(村山浩昭裁判長)は画期的な決定を下す。再審の開始と、同時に死刑および拘置の執行停止を決めたのだ。決定文で村山裁判長は次のように捜査陣を厳しく指弾した。

「捜査機関が重要な証拠を捏造した疑いがあり、(袴田を)犯人と認めるには合理的な疑いが残る」

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「A(袴田)は捜査機関により捏造された疑いのある重要な証拠によって有罪とされ、極めて長期間死刑の恐怖の下で身柄を拘束されてきた。無罪の蓋然性が相当程度あることが明らかになった現在、Aに対する拘置をこれ以上継続することは、耐え難いほど正義に反する状況にある」

 驚くべきことに、裁判所が捜査機関による証拠捏造の疑いを明言し、その証拠に基づく死刑判決により死の恐怖とともに四八年間拘束されてきたと言ったのだ。

 裁判所は時おり、「著しく正義に反する」という言い方を用いるが、袴田に対しては、〈拘置をこれ以上継続することは、耐え難いほど正義に反する(・・・・・・・・・・・・)〉と一層強く踏み込んだ表現をした。国が、耐え難いほど正義に反する状況を半世紀も強いてきた。だから一刻も早く釈放しなければならない、というのが村山判決の論理だ。この一文に、袴田が味わった長きにわたる艱難辛苦を汲む心情が込められている。

 これは弁護団の予想をも上回る決定だった。これにより袴田は即日釈放されることになる。これまで死刑事件の再審は四例、袴田で五例目だが、再審開始決定と同時に釈放されたのは袴田が初めてである。これまでの四例は、再審法廷が開かれ再審無罪が言い渡された後に釈放されていた。しかし袴田については、再審請求審で再審開始決定が出たばかりで、再審自体はまだ始まっていない。無罪がまだ確定したわけではない。つまり、この段階ではいまだ確定死刑囚なのだ。確定死刑囚が“娑婆”に出るという矛盾した状態になったのだ。

『袴田事件 神になるしかなかった男の58年』(青柳雄介)

9年の歳月を要して再審開始決定が確定

 同日午後五時すぎ、自由を得て東京拘置所の塀の外に姿を現した袴田は、まだ三月末の肌寒い時期だというのに、浅黄色の半袖シャツ姿だった。外界の空気に触れたのは実に四八年ぶり。姉のひで子と弁護士に付き添われ、周囲を窺うように視線を少し動かしたが、表情を変えることはなかった。社会からつま弾きにされ、四八年間も世の中のどん詰まりに隔離されてきた状態から、よくぞ生きたまま戻ってきたものだ。

 ところが、この静岡地裁の再審開始と釈放の決定に検察側は異議を唱え、即時抗告(通常審における控訴のこと)した。以降、二〇二三年三月に東京高裁(大善文男裁判長)の再審開始決定が確定するまでにさらに九年の歳月を要した(これを受けて、二〇二三年一〇月から静岡地裁で再審〔やり直し裁判〕が行われ、二〇二四年九月二六日に判決が下る)。

 静岡地裁が〈無罪の蓋然性が相当程度ある〉との前提に立ち、再審開始と刑の執行停止を決定したということは、いわばほぼ間違いなく無罪であると認定して釈放したということである。にもかかわらずこの決定は、即時抗告審だけで四年二カ月ものあいだ塩漬けにされてしまった。本来であれば決定後すみやかに再審法廷が始まり、無罪判決が下されていなければならなかった。すでに高齢となっている袴田姉弟の時間がいたずらに奪われていく。証拠の捏造を指摘された検察は意地とプライドにかけ、確定死刑囚の立場にある袴田を再び処刑台の前へ連れ戻そうと必死になっていた。

 見方によっては、「再審無罪」をみるまで袴田は、一時的に死刑の執行を停止されているだけの非常に不安定な立場に置かれているともいえる。つまり、ほぼ無実が明らかになっている一人の人間に対して、国家権力が極刑という鉄槌をそれでも下そうとする理不尽な状況が続いているのである。