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「袴田事件なんか元々ありゃせんだで」

 しかし故郷・浜松に戻った袴田は、そんなことには無関心のようだった。東京から浜松に戻り、姉・ひで子の自宅に身を寄せたときこう語った。

「神の国の儀式があって、袴田巖は勝った。無罪で勝利した。袴田巖の名において。その袴田巖は去年まで存在したが、今はもういない。全知全能の神である自分が吸収した。それに伴って死刑制度を廃止し、死刑の執行をできないようにした。東京拘置所、監獄は廃止された。尊敬天才天才、尊敬天才天才……」(二〇一四年七月、浜松市の自宅にて)

 死刑制度が廃止されれば、自分への死刑執行をすることができない。神になり、権力者になって、袴田は悪しき死刑制度を廃止したのだ。袴田の視線は中空に向かい、焦点が定まっていないのか揺れていた。感情をどこかに置き忘れてきたかのようにも、深い苦悩と悲哀が漂っているかのようにも見える。

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 事件からちょうど五〇年後の六月三〇日、故郷の浜松市内を歩く袴田に同行し、事件から半世紀が過ぎたことを投げかけてみると、

「袴田事件なんか元々ありゃせんだで」

 と言葉少なに語り、暑さを避けて公共施設のベンチに腰掛け汗を拭った。そこで再び問うと、語気を強めた。

「袴田巖が犯人だという袴田事件なんか最初からないんだ。あんなもの全部嘘なんだ。重要なのは自白の任意性だで……。嘘ばかりだといい世の中にならんだで、いま毎日、神である自分が浜松の街を見回って嘘が蔓延っていないか確認しているということだ。だから、仕事の邪魔をせんでくれ」

 自白の強要、証拠のでっち上げ、でたらめな調書。それらはすべて嘘によって作り上げられたものだという。これは拘禁反応が出る前から、袴田が一貫して主張してきたことである。

 釈放から半年あまりが過ぎた二〇一四年一一月、袴田とひで子は島根県弁護士会のイベントに招かれ、二人で出雲路へ出かけた。袴田は黒いスーツに黒の蝶ネクタイ姿だった。聞けば、

「出雲に招かれたんだから蝶ネクタイくらいせんと、な」

 イベントであいさつに立った袴田は、万雷の拍手で迎えられ饒舌だった。

「えー、私が袴田巖でございます」

 聴衆を前にこう切り出した袴田は、はっきりとした声で続けた。

「全知全能の神である袴田巖は、このたび日本銀行の総裁、最高裁判所の長官に就任しました。善良な市民に給料を支払い幸せな日常を保証し、悪を裁いてまいります。それが袴田巖の役割でございます。神(真実)である私に嘘をついて反対しても神はお見通しだ。嘘が多い世の中になると、人類は成り立たなくなる──。平和で幸せな世の中を構築してまいります」

 釈放から時間が経っても拘禁症は抜けていない。記者会見やシンポジウムなどでは、袴田の発言を「拘禁反応による妄想」と失笑する人も少なくない。だが、果たして本当にそうなのだろうか。

 記憶が曖昧な部分は確かに見受けられる。しかし、「精神の収容所」のような拘置所から釈放された後の袴田を畏敬の念をもって丹念に追っていくとき、彼の言葉の行間からは人間としての真実が滲み出ているのではないか、取材を続けるうちにそう思えるようになった。袴田の発言には独特な表現や言い回しが多いが、その言葉に含まれている深い思いを踏まえて耳を傾けてみる。眼光紙背に徹すれば、十分に理解することができるのである。

 到底受け入れられない過酷な現実を、袴田は自分を神に変換することで再構築してきた。棘に満ちた非情な運命を、嘘で塗り固められた過酷な現実を乗り越えるための物語化である。捏造された証拠によって有罪とされ、いつ命を奪われるか分からない日々を生きる。耐え難いほどの恐怖だが、そうした非道がこの法治国家でも実際に起こり得るのだ。袴田の軌跡を丁寧に追い、その内面に迫っていくことで、事件の背後に潜む病巣が浮かび上がってくるのではないだろうか。

 これは、無実でありながら殺人犯の汚名を着せられ、四八年間拘禁され続けた袴田巖の物語である。彼はいかにして神になり、何を成し遂げようとしているのだろうか。


「プロローグ 『神』になるしかなかった理由」より