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共産圏ツアーをやるか、解散するかを迫られていた

 当時アメリカはベトナム戦争の真っただ中。戦争反対の声とともにニクソン政権への批判が高まる時に、政府主導のツアーは非難を浴びると反対したメンバーもいた。それでも彼らは共産圏に入る初のロックバンドとなる。なぜ? その理由が初めてメンバーから明かされる。バンドはある事情で「ツアーをやるか、解散するか」を迫られていたのだ。

 ツアーにはやはり国務省が手配した撮影クルーが同行する。この映画の最大の見所は彼らが東側諸国で撮影した映像だ。とりわけ圧政がひどかったと言われるルーマニア。飛行機から降りるとマシンガンを持った兵士たちが待ち構える。街では常に監視の目が光る。コーヒーショップで逆さまの新聞に穴をあけてこちらを見ている人物が。バレバレの尾行をする人物も。ピンクパンサーのような“お笑い”の世界が現実にあった。

©2023 JAMES SEARS BRYANT

 だがコンサートが始まると客席は一気に盛り上がる。熱烈な拍手を送り、終了後もアンコールを求める声がやまない。バンドも再びステージに上がってアンコールに応える。共産圏を揺るがせたライブが映像で蘇る。当時の観客がインタビューに応えている。

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「自由な感じが格別だった」

「世界がひっくり返るような体験だった。単なるロックコンサートではなく、私たちルーマニア人に国境の先の大きな自由を教えてくれた」

 この2年前、同じ東欧圏のチェコスロバキアで「プラハの春」と呼ばれる自由と民主化の動きがあったがソ連軍の介入で弾圧された。ルーマニアの人々も自由を求める気持ちがあったに違いない。客席には両手に手錠を付けて掲げる人もいた。大勢がピースサインを掲げながら「USA! USA!」とコールした。

突き付けられた10の要求

©2023 JAMES SEARS BRYANT

 これはルーマニア政府にとっては都合が悪い。翌日のコンサートを前に米大使館を通しバンドに10の要求を突き付けてきた。守られなければショーは中止だという。その時のやり取りも映像で残されているが、ここも見もので笑うしかない。要求の第1は「ロックよりジャズを」。すかさずメンバーの一人が突っ込んだ。

「ルーマニア側の誰がジャズかどうか判断するの?」

 バンドは「冗談じゃない。俺たちのやり方でいくぜ」と開き直る。会場では犬を連れた警備兵が監視していたが「目一杯ロックで盛り上げた」。ボーカルがドラを鳴らしステージに放り出すお約束のパフォーマンスがある。「楽器を投げるな」と言われていたが客は願っているはずだ。「やっちゃえ!」。構わずこの日は客席に投げ込んだ。この精神こそ「権力への反抗だからだ。相手がルーマニア政府でもね」。