コロナ禍と「詰む人」の増加
気の毒なのは、近年のコロナ禍の影響で経済危機に陥り、債務の不履行を余儀なくされた人たちだ(詳しくはジャーナリストの高口康太氏が『東亜』8月号に寄稿した記事を参照)。失信人は、本人に反省の意思がない、所在が確認できないなどの悪質性がなければ即・処罰とはならないともいうが、当局のミスや本人の悪意なき過失で認定されることはあり得る。
航空機や高速鉄道での遠距離移動ができず、ネットに「ダメ人間」としてのデータが残った状態で、事業や生活の立て直しは不可能に近い(なお、中国に自己破産制度はない)。だが、たとえ困窮しても公的福祉は貧弱だ。往年であれば、人生に失敗しても他の省に逃げてしまえばなんとかなったが、現代はデジタル監視によって中国国内のどこに行っても逃げられない。
深圳事件の容疑者が失信人かは不明ながら、事業に失敗して債務を抱えていたことが日本側の報道で明らかになっており、似た状態だったとみていいだろう。ただでさえ巨大な格差が存在するうえ、失敗するとリカバリーが効かない社会だからこそ、「献忠」がしばしば選択される。
「献忠」犯人の襲撃対象に子どもや外国人が選ばれやすいのは、警戒心が薄く狙いやすいからだ。特に子どもの場合、「強者の論理」が貫徹された中国社会の弱者である自分より、さらに小さくて弱いので狙う……。ということだろうか。
「無敵の人」が生まれやすい中国
近年、中国のネット上では「無敵之人」というスラングも登場している。もともと、日本で2008年の秋葉原無差別殺傷事件が起きた際に、犯人の加藤智大のように社会的信用が低く逮捕リスクがない人物を指して、ひろゆき(西村博之)が使いはじめた「無敵の人」という言葉が、中国に輸入されている形だ。
中国では報道や言論が統制されているため、日本と比較すると模倣犯が起きにくい環境のはずだが、中国の社会環境は日本以上に「無敵之人」を生み出しやすい。加えて、外国人はそうした人たちの投げやりな行動のターゲットに比較的選ばれやすく、今年に入ってからはオーストラリアやスイスなど海外で「献忠」的な事件が起きた例もある。
もちろん、こうした事件を起こす人はごくひとにぎりにすぎない。ただ、中国の新たなリスクとして、日本人も認識しておいたほうがいいことは確かだろう。
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