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“競馬する小説家”高橋源一郎が語る『うるぐす』とダービーと『カルテット』

テレビっ子・高橋源一郎インタビュー #2

『スポーツうるぐす』で競馬予想は「ウケ狙い」できなかった

―― 映画といえば、高橋さんは『ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け』(1986年)に参加されますが、どういう経緯だったんですか?

高橋 あれは、『さようなら、ギャングたち』をもとに映画を作りたいから、シナリオを書いてくれと言われたんです。でもシナリオと戯曲って別物ですからね。似ているがゆえに、非常に難しい。

『さようなら、ギャングたち』(講談社文芸文庫)

―― 演劇の脚本を書くのとは違っていた?

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高橋 劇ってやっぱり言葉なんですよね。人は出てくるけど、セリフですから。でも映画ってセリフじゃないんですよね。映像なんです。映像がないとシナリオにならないんだけど、僕はどうしても言葉しか思いつかなくて。それでギブアップ。映画監督の山川直人さんがほぼ全部シナリオを書いて、僕は参加したとはいえ、ただいるだけでした。それはちょっと心残り。今だったら映画やりたいんですけどね。

―― 90年代になると、『スポーツうるぐす』をはじめ、テレビ出演が増えますよね。『うるぐす』の依頼が来た時はどう思われましたか?

高橋 競馬担当ですからね、それはやりますよ(笑)。あれは毎週だったんですけど、わりと自由もあって面白かった。基本的にスポーツニュース番組ですけど、僕は競馬を中心に、ちょいちょいコメントをする役目。

――あれだけ競馬コーナーが充実していたスポーツニュースも珍しかったですよね。

高橋 江川卓さんとG1レースを中心に馬券を買って、当たったお金で「馬を買う」という馬主ミッションがあったでしょう。あの馬券につぎ込んだお金、番組の予算じゃなくて、全部僕と江川さんの自腹なんですよ。

 

―― そうだったんですか!

高橋 1回、3万円ずつ自腹なんです。ガチで予想するから「ここは複勝も買う」みたいな、わりと手堅いこともやっていたでしょう。ウケ狙いで馬券を買ってみましたっていう企画じゃないんですよ。だから、2人で3万ずつで1回6万円。で、15回ぐらいやったから90万ぐらい投資したことになる。でも、毎回70万以上戻ってきてます。

ハイセイコーの中央デビュー戦を観たのも、テレビ

―― 結構な回収率。

高橋 回収率8割ぐらいですよ。すごくないですか。でも大変でしたよ、普段あんなに真剣に予想しないもん(笑)。

―― 企画では結局、一口馬主になったんでしたっけ。

高橋 なりました。バーボンカントリーっていう馬で、結構走ってくれました。

―― 競馬にそもそも興味を持ったのはハイセイコーからだそうですが? 

高橋 そうですね。73年ですね。ハイセイコーの(中央競馬の)デビュー戦からです。

―― 競馬場で観たんですか?

高橋 いや、テレビです。

 

―― やっぱりテレビ!

高橋 ちょうどその日、引っ越して、最初にテレビをセッティングしたんです。で、テレビをつけたら弥生賞のパドックだった。

―― そこから競馬が好きになった。

高橋 そうですね。70年代はテレビも観てたけど、ほぼ毎週競馬場行ってました。だから競馬にはずいぶん時間を……、時間だけじゃなくてお金もね(笑)。まあ、壮大な無駄ですけど、無駄はやったほうがいいですね。ある種、壮大な無駄っていうのもやっておかないと、か弱い人間になってしまうと思うんですよね。だって、人生そのものが無駄なんですから。……そういうふうに自分を説得して競馬やってます(笑)。