さらに北へ。大きな煙突が見えてきた

 そんな寂しさに耐えつつも、さらに市街地の北に歩を進めてゆく。すると、閉鎖されて廃墟と化した花畑牧場のさらに奥に、広大極まる空き地が見えてきた。その真ん中には、「夕張希望の丘」と書かれた大煙突がぽつねんと。近づくと、どうやら駐車場のようだが……。

©鼠入昌史

 空き地の入口には進入禁止の案内表示があり、さらに「金属散乱…進入したらパンクの危険」などというおっかない表示もあった。そして、「この広大な廃墟は…かつての歴史村遊園地・大駐車場」。つまり、この場所にはかつて遊園地があった、というわけだ。

 その遊園地とは、石炭の歴史村の一角に1983年にオープンしたアドベンチャー・ファミリー。

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 一帯には遊園地に加えて「ロボット大科学館」や「知られざる世界の動物館」、他にも水上レストランに大劇場といった施設がひしめいていた。夕張とロボットにどんな関係があるのかはわからないが、とにかく夕張の町の北の端に、一大レジャーランドがあったのだ。

 けれど、そのほとんどはなくなった。残ったのは金属片が散らばった駐車場の跡と遊園地の残骸、そして夕張の歴史を伝える夕張市石炭博物館くらいである。

©鼠入昌史

日本の20世紀を支えた「夕張の黄金時代」

 言うに及ばず、夕張は石炭の町だった。明治初期から開発が手がけられ、多くの入植者によっていくつもの炭鉱が拓かれた。

 日本を代表する産炭地・炭鉱都市として発展し、最盛期には人口11万人超、24のヤマがあって、町中には石炭を運ぶ列車がひっきりなしに行ったり来たり。夕張が日本の近代化を支えたといっていいほどの、大きな役割を果たしてきた町なのだ。

 夕張の主要な炭鉱は、北炭(北海道炭礦汽船)の夕張鉱業所・平和鉱業所と三菱の大夕張鉱業所の3つ。特に、北炭の夕張鉱業所は規模が大きく、周囲には無数の炭鉱住宅が建ち並び、近接する夕張本町の商店街は圧倒的な賑わいを得ていた。

 そんな夕張炭鉱の跡こそが、廃墟になった駐車場。「希望の丘」の煙突は北炭の大煙突、文字通りの炭都・夕張のシンボルだ。