「細い2つの眼の奥が、一瞬ぎらりと光った」児玉と稲川が睨み合い、そして…
稲川は、書生の案内により、左手に折れた。稲川は、徒手空拳であった。突き当たりに、木のドアがあった。ドアが押され、書生がなかへ入った。稲川も、なかに入った。17、8畳もある広い応接間であった。シンとしていた。
嚥脂色の絨毯が敷かれていた。真ん中にペルシャ絨毯が敷かれ、その上に低いテーブルが置かれていた。入って奥の右側に、本革張りの渋いダークグリーンのソファーがあった。
3人ゆっくり座れる広さであった。
稲川は、そのソファーに案内された。
「児玉は、すぐに参ります。お待ちください」
稲川はソファーにぴんと背筋を伸ばして腰かけ、児玉を待ちつづけた。向かって右側には、暖炉と書棚があった。暖炉の上には、三木武吉の油絵の肖像が掲げられていた。向かって左側のドアを入ったところには、鳩山一郎の水彩画の肖像がかかっていた。
しばらくして、ドアが開いた。いがぐり頭の児玉が入ってきた。質素に見える久留米がすりの筒袖姿であった。小柄ながら、威圧感がただよっていた。部屋の空気が、にわかに張り詰めた。
児玉は、稲川を見た。細い2つの眼の奥が、一瞬ぎらりと光った。射すくめるような眼の光であった。
稲川も、負けずに、まっすぐに児玉の眼を見た。
児玉は、暖炉を背にして、1人がけのソファーに座った。児玉もまた、供を従えてはいなかった。お互いに、差しであった。
稲川は、児玉の眼を、あらためて見た。しばらくのあいだ、児玉の眼を睨みつけたまま、一言も発しなかった。このときが2人にとっては、初対面であった。稲川、46歳。児玉、49歳であった。
「自民党に貸しはあっても、借りはない!」
張り詰め、殺気立った空気が、流れつづけた。外の木々で鳴く蝉の声が、異様に大きく聞こえる。
稲川が、切り出した。
「自民党から、アイゼンハワー大統領訪日にそなえて、財界から集めた6億近いカネが、児玉先生のところで消えた、という噂がある。真実をはっきりうかがいたいと思ってきました」
児玉は、厚い唇を開き、一言だけ発した。
「稲川君、わたしは、自民党に貸しはあっても、借りはない!」
稲川の胸に、ズシリとこたえる一言であった。
児玉が、日本一の右翼の面子に懸けていっている言葉である。
稲川のそれまでの児玉への怒りが、その一言で鎮まった。その言葉を信じよう、と思った。