造語だらけの文章で小説を書くことが多い筆者だが、本のタイトルでは造語を使わないでください、と編集者に言われる。可読性や検索性で影響が出るからだ。飛浩隆の8年ぶりの作品集は『鹽津城(しおつき)』という。潔いほどにルビがないと読めず、そらでも書けない。けれど読んだ後では他のタイトルなど考えられないし、なんなら鹽も書けるようになっている。
収録されているのは、主に純文誌に掲載された6篇だ。単身赴任で離れて暮らす夫婦が、贈り主の姿を咲かせる鉢植えを結婚記念日に贈り合う「未の木」、言葉だけで食事の味を体感させることができた少年との思い出を描く「ジュヴナイル」、カリスマ首相による40年に亘る政権下で経済復興し家族の概念も変えられた近未来日本で秘密裏に抵抗する人々を描く「流下の日」、多数の世界が含まれるとして電波を排除しようとする教団に対応するうち過去が塗り替えられる「緋愁」、混沌とした内的世界を破壊しては再生させ続けている校正者「鎭子」――殆どの作品で平行世界の干渉が変奏的に描かれるが、それらではずみをつけたように、最後の中編「鹽津城」では、現代、近未来、遠未来の3つのパートが平行世界や想像世界らしきつながりを持つ、さらに複雑で精緻な幻惑構造へと飛躍を遂げる。現在パートは、海水から塩が分離して結晶化していく鹵氷(ろひょう)という現象で海が覆われつつある世界で、L県の県庁職員の男と謎めいた妻との日々を描く。近未来パートは、体内に塩分濃度の高い線条が生じる鹹疾(かんしつ)という病が蔓延する世界。双子の漫画家も罹患し、大ヒットした漫画の連載を中断していた。漫画は現代パートに似た鹵攻(ろこう)という災害で変貌した世界を舞台にしていたが、ふたりは連載再開のため海上に多国籍国家が生まれる展開を構想し、漫画を描くきっかけとなったL県へ向かう。遠未来パートはその構想を思わせる、鹵攻や気候変動で多くの国々が滅び大阪湾内に多国籍の領土が作られた世界。特異な視覚で鹵(しお)を読み取れる者が指導者となり、人口維持のため男も妊娠するようになっている(“息子が父に妊(みごも)らせることはまれだ。”という一文には息を飲んだ)。それら3つのパートが思いも寄らない形でつながり共鳴や干渉を起こす展開はただただ圧巻だ。
近未来パートで双子が新作の構想を説明し、「すごいね、聞いたこともないシチュエーションだ……」と編集者を驚かせる場面があるが、そこで作者は実際に“聞いたこともないシチュエーション”を描いてみせ、言葉で読者の目に焼きつける。そんなことができる作家がどれだけいるだろう。「ジュヴナイル」の少年が小説の言葉だけで食感や味覚を体感させたように、飛浩隆は我々を可能性の海に浮かぶ確かな陸地に立たせる。
とびひろたか/1960年島根県生まれ。81年「ポリフォニック・イリュージョン」で第1回三省堂SFストーリーコンテスト入選。2005年『象られた力』で第26回日本SF大賞、18年『自生の夢』で第38回同賞を受賞。著書に『グラン・ヴァカンス』『ラギッド・ガール』など。
とりしまでんぽう/1970年生まれ。『皆勤の徒』で第34回、『宿借りの星』で第40回日本SF大賞を受賞。近刊に『奏で手のヌフレツン』。
