どこの国でも笑いと涙があふれた

山崎 もちろん教育は良い面も悪い面も表裏一体です。映画には「諸刃の剣」という言葉が出てきますが、このやり方に合わない人には辛いだろうし、乗り越えられず学校に来られない人もいるなど課題もあります。しかし、そもそも普通にやっている日本の学校の役割がすごいということが、日本にいるとなかなか気がつけません。昨今「日本の教育全部がダメだよね」と言われているのは、勿体ない気がしています。日本の教育の長所に気がつき、課題は切り分けながら、より良いやり方を考えていくのがよいと思っています。自分にとってはプラスであった日本の小学校を、そのようなスタンスで撮りたかったのです。

©Cineric Creative / NHK / Pystymetsä / Point du Jour

——長編はフィンランドでは20館で公開、世界10カ国以上で配給されました。海外で印象深い反応はありましたか。

山崎 世界の映画祭に参加しましたが、どこに行ってもパワフルな子供の成長を前に、みなさんが泣いて、笑ってくれました。日本の話を描いたつもりが、どこの国でも大人は教育について考えたり、悩んだりしていると思いました。また、この映画が日本の印象に対する答えの一つとして捉えられました。「こういう教育を受けているから、日本のサポーターは試合後にゴミを拾うんだな」とか、「だから日本では電車が遅れずにくるんだな」といった反応です。

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 フィンランドでは教育が真逆の方法だからヒットしたようです。欧米の学校では、まず「あなたは誰? 隣の人と何が違うの?」「あなたは何が得意で何が個性なの?」と問われます。優先順位としては、その次に周りの人とうまくやることを学ぶのです。日本は逆で、まず集団の中の役割や責任が問われます。コミュニティの一員として集団に貢献できるかがベースにあり、その後で個性を作っていく。

フレデリック・ワイズマンから受けた影響

山崎 フィンランドは現在、学校が個人の尊重と自由に走り過ぎたため、自分のことしか考えられない子供が増えたのではという不安があるようです。一方、日本では周りと助け合う教育システムが特徴的。それはやり過ぎると連帯責任や同調圧力に繋がるけれど、力を合わせることを覚えるのは、社会への入口としてはプラスになるのではないでしょうか。フィンランドの観客からは、「かつて行っていた日本のような教育を取り戻したい」と言われたのが印象的でした。

——観察するように撮影し、透明な存在となってある瞬間を捉え、編集も重視するという意味では、フレデリック・ワイズマンの映画を思い出しました。山崎監督が影響を受けた作家や作品はありますか。

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山崎 間違いなくワイズマンです。私はそこに居続けることでしか撮れない手法にこだわり、最高の音と映像だけでドキュメンタリーを作っています。例えば、どれだけ良い姿を目の前で見たとしても、携帯で撮った映像を使うことは絶対にしないというルールを自分の中で決め、作品の中のランゲージを作っています。手法や言語は自分で決めればよいと思いますが、決めたことを統一して徹底してやるというこだわりは、ワイズマンを含め、巨匠のみなさんから吸収しました。