元電通専務で、スポーツマーケティングの第一人者だった高橋治之氏(81)は、長嶋茂雄と会食やゴルフを通じて家族ぐるみの付き合いがあった。その交友の秘話を明かす。
8歳年上の長嶋さんの存在を強く意識したのは、私が慶応幼稚舎に通っていた頃のことです。当時の慶応幼稚舎では、土曜日に授業の一環として春と秋に行なわれる東京六大学野球を神宮球場に観覧に行っていました。強制ではなく、興味のない人は教室で自習し、希望者だけが参加する形でしたが、私はクラスの野球チームにも加わっていたので、喜び勇んで出掛けて行っていました。
あの頃は、プロ野球よりも六大学野球の方が人気が高かった。なかでも長嶋茂雄、本屋敷錦吾、杉浦忠の三羽烏を擁する立教大が、黄金時代を迎えて、慶立戦はとくに楽しみでした。幼稚舎生に用意されているのは、いつも三塁側の応援席の最前列のど真ん中。まさに特別席です。そこから、初めて目の前で長嶋さんを見ました。サードを守っているのに、ショートに飛んだ打球まで華麗なフィールディングでアウトにする姿は、今も目に焼き付いています。

長嶋さんと直(じか)に言葉を交わしたのは、私が電通に入社して10年以上が経ってからのことです。友人だったアパレルメーカー「アルファ・キュービック」の創業者、柴田良三さんの紹介でした。柴田さんはゴルフが抜群に上手くて、複数のゴルフ場でクラブチャンピオンをとっていて、ハンデはゼロ。ゴルフ好きの長嶋さんも一目置いていた人で、私もすぐにゴルフを一緒にやる仲になりました。長嶋さんが可愛がっていた江川卓さんともよくゴルフをしました。
長嶋さんはゴルフの前日は嬉しくて眠れないと言って、集合時間に行くと、もう1時間も前に来て待っているんです。場所は箱根カントリー倶楽部や川奈ホテルゴルフコースが多かった。長嶋さんはプロ入り間もない頃から、シーズンオフには箱根で、金時山を駆け上って自主トレに励み、仙石原には別荘も作ったほど箱根がお気に入りでした。
「高橋さん、いつゴルフやりますか。じゃあ箱根でいいですね」
そう誘ってくれた長嶋さんの甲高く、弾んだ声が忘れられません。川奈に行った時には、コースを回った後、そのまま奥湯河原にある高級旅館「海石榴(つばき)」まで行って、みんなで温泉に入り、浴衣に着替えて宴会をやったものですが、その支払いは全部長嶋さん持ちでした。
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