「背番号3が泣いています」の名実況を遺した深澤弘アナウンサーは、ミスターと同じ1936(昭和11)年生まれ。いつしか取材の枠を超え、「親友」と慕い合った。夫人のケイ子氏(89)が明かす交友秘話。
初めてお会いしたのは1964年。東京五輪の開催に伴い、主人が東北放送からニッポン放送に移籍した時。でも、直接お話ができるようになったのは1970年。34歳で打率0.269と大スランプに見舞われた時期に、ナイター後の後楽園球場の駐車場で長嶋さんから突然、話しかけられたのがきっかけでした。

そのうち食事に誘われ、ご自宅にも招かれるように。気づけば、電話を受けて田園調布に駆け付けるのが日課となりました。仙台の地方局から出て来た一介のアナウンサーに声をかけて下さったことに感激し、人間性に惚れ込んで、「何があっても長嶋さんのためには」と思っていたようです。夜遅かろうが朝早かろうが、夜中0時、2時過ぎであろうと喜んで飛んで行きました。
「違う!」「平松(政次)はそんな投げ方はしない!」
あれこれ相談に乗るうちバッティング練習に付き合うようになった主人ですが、夢中でバットを振る長嶋さんからいつもダメ出しをされていたそうです。野球経験者とはいえ、普通のサラリーマン。どだい無茶な注文ですが、主人も無我夢中ですから、各投手の投げ方を自分なりに研究し必死に真似していました。

監督に復帰した1993年、長嶋さんは初めて導入されたFAで落合博満さんの獲得を目指していました。じつはその頃、本人の意思を確認するため、主人は落合さんのいる和歌山県太地町に何度も通っていました。当時、巨人の「6番」は篠塚和典さんが付けていたこともあり、交渉は難航したそうですが、最後は信子夫人の後押しで「60番」で移籍が決まったのです。

「野球選手の奥さんはやっぱり、ああじゃなきゃダメだ」。奥様の存在の大きさに感動した長嶋さんがそう言うので、主人が「長嶋さん家だってそうじゃないですか」と返すと、笑っていたそうです。亜希子さんには、主人も本当にお世話になっていましたから。
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