2003年、長嶋茂雄は、読売日本交響楽団(読響)の演奏会にゲスト出演した。指揮とホスト役を務めたのは井上道義氏(78)。その井上氏が忘れがたいミスターとの音楽談義を語る。
長嶋さんがちょうど巨人軍監督をやめられた直後のことです。僕自身も長い付き合いの読響のコンサートに長嶋さんをゲストでお呼びしようという話が持ち上がりました。
僕としては長嶋さんとお話しできるのは光栄なことでうれしいけれども、こちらは野球についてまったくの無知。しかも「とにかく宣伝になる」と、読売側が前のめりなのが見え見えで、正直に言うと、長嶋さんを“客寄せパンダ”みたいに使うのは失礼だし、趣味が悪いと気が進みませんでした。ただ、長嶋さんがモーツァルトを愛聴されていると聞き、知人のマリ・クリスティーヌさんと長嶋さんとの座談を引き受けました。

演目の合間に客席からお呼びした長嶋さんは、赤い眼鏡と健康そのものの姿がオーラを放っていて、素敵でした。
しかし、座談の間、ずっと憂鬱でした。「長嶋さんを何とか説得してちょっとでも指揮をしてもらって盛り上げたい。でも長嶋さんは『やらない』の一点張り。けれど、道義さんから舞台で誘ってもらえば何とかなるかもしれない」と言われていたからです。
音楽イベントでは“1分間指揮者”という企画がよく行なわれます。素人の著名人や子供に指揮棒を振ってもらうのですが、行進曲のようなテンポが一定の曲なら、誰でも指揮ができた感じになる。
僕も折れて、舞台上でタイミングを見て、「楽員さん達も長嶋さんに少しでも指揮してほしいと言っているのですが」と思い切って口にしました。すると長嶋さんは、「いえいえ、井上さん、そういうのは勘弁してください。僕ら野球選手も球場で勝負ができるようになるまで、どんなに切磋琢磨して悩みぬいていることか。ここにいる楽員の皆さんも同じでしょう。何もわからない僕なんかが真似事をするなんて、一番恥ずかしくて失礼なことです」ときっぱりお断りになられたのです。
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