愛媛県松山市にある地銀から香港への巨額送金が行われていることが発覚した。米国は重大な懸念をしめしているが……
財務省に姿を現した“査察団”
「国連安全保障理事会決議を完全に履行していくことが大切だ」
10月10日の衆院予算委員会。核・ミサイル開発を続ける北朝鮮への経済制裁について、そう答弁した首相の安倍晋三。これまでも経済制裁に関して「抜け道は許さない」と声を上げ、最近では北朝鮮への不正輸出の可能性などを根拠に、韓国への輸出管理の厳格化に踏み切ってきた。
だが――。
「安倍首相の力強い言葉とは裏腹に、実は、日本の制裁は“抜け道”だらけ。そこを徹底調査するため、国際的な査察団が来日したのです」
そう明かすのは、政府関係者だ。
10月28日、東京・霞が関の財務省に姿を現した“査察団”とは、各国の金融機関のマネーロンダリング(資金洗浄)対策を審査する金融活動作業部会(FATF(フアトフ))。テロ対策を主導する米国を中心に、37カ国・地域および2つの国際機関の金融当局や検事、弁護士らがチームを編成し、各国の実態を相互に審査してきた。日本は今回、11年ぶりにFATFの審査(第4次審査)対象になったのだ。
法整備が焦点だった2008年の第3次審査で、日本は「マネロンに寛容な国」との烙印を押されている。評価指標となる49の項目のうち、10の項目で最低評価だった上、マフィアなどの組織犯罪を防止する「国際組織犯罪防止条約」(パレルモ条約)の批准国でなかったことも、大きなマイナスポイントだった。
その後も対策は進まず、14年6月にFATFは「最も対応が遅れた国」と、日本を名指しで異例の声明を発表している。危機感を覚えた安倍政権はその年の秋、遅ればせながら、改正テロ資金提供処罰法など関連三法を成立させた。FATFのフォローアップ審査を終え、日本がようやく「要注意国」から脱したのは16年のことだった。
審査項目に頭を抱えた金融庁
「前回とはだいぶ違うな……」
今年6月、FATFから公文書で送られてきた第4次審査の項目を見て、金融庁内に衝撃が走った。法整備を求めることが中心だった11年前の審査項目と異なり、金融機関の実態を具体的に調べ上げるところまで踏み込んでいたからだ。
FATFから送られてきた主要な審査項目は次の3つだった。
1.「北朝鮮、イランへの不正な送金は行われていないか。特に北朝鮮への送金について中国経由の送金の監視は十分であるか」
2.「日本の金融当局である金融庁が所管する金融機関以外の金融機関、及び金融機能を持つ機関への対応は十分なのか」
3.「日本政府が14年に成立させた対テロ組織、マネーロンダリング防止の法律はどのように運営され、また機能しているのか」
FATFがこうした項目を突きつけてきた背景にあるのが、米トランプ政権の意向だ。米国は今、核・ミサイル開発を続ける北朝鮮やイランなど、経済制裁対象国への送金取引に非常に厳しい目を注いでいる。
トランプ大統領/金正恩委員長
FATFは今回、北朝鮮などへの不正送金を監視する米財務省からの情報提供も受け、徹底調査する構えだ。米財務省は、世界中の金融機関で日々行われているコルレス取引(外国為替取引)、すなわち、ドル取引の情報を全て押さえている。もし日本からドルを通じた不正送金があれば、狙い撃ちされかねない。
実際、FATFは様々な情報を元に、どの金融機関に審査に入るかを決めているという。だが、事前にそれを日本側に伝えることはないため、各金融機関は戦々恐々としている。10月末以降、順次行われる「オンサイト審査」では、金融機関に直接ヒアリングし、場合によっては、取引記録なども提出させるのだ。
今回の審査項目を見て、金融庁幹部たちは頭を抱えざるを得なかった。“あの案件”がFATFに狙われるのではないか――。米財務省から出向している駐日米大使館員を通じ、金融庁はすでに何度も問い合わせを受けた案件があったのだ。
香港に5億円超の送金
事件の舞台となったのは、地元では“ひめぎん”との愛称で呼ばれる第2地銀、愛媛銀行。松山市内にある小さな一支店、石井支店の窓口に、会社経営者の男性が現れたのは、17年5月26日のことだった。
日本名を名乗るこの男性は、愛媛銀行大阪支店に口座を持ち、同行の通帳やキャッシュカードを持参していた。依頼内容は、大阪支店の口座から970万円を、香港の恒生(ハンセン)銀行の口座に海外送金したいというもの。使途目的の欄には「貸付」、送金先には「K Barun Company」という会社名が記載されていた。
石井支店はすぐさま本店に連絡を取り、指示を仰いだという。金額もさることながら、愛媛銀行は恒生銀行と取引がなかったため、コルレス契約をしているみずほ銀行に送金を委託する必要があったのだ。
ただ、男性が大阪支店に口座を持っていることなどから、本店から問題はない、と判断が降りた。石井支店は、その男性の希望通り、みずほ銀行を経由する形で、970万円を香港の恒生銀行に送金する。
みずほ銀行も……
まもなく、石井支店の面々が驚くことが起きる。わずか1週間後の6月2日、再びその男性が窓口に現れ、桁が1つ大きい5,370万円の送金を依頼してきたからだ。今回も香港への送金で、振込先の口座番号も同じだった。
支店長は前回同様、すぐに本店に連絡を取る。本店でも金額が金額だっただけに、さすがに慎重にならざるを得なかった。男性を別室で待たせ、本店審査部が精査する一方、同銀行の顧問弁護士にも相談する。
顧問弁護士の見立てはこうだった。男性は大阪支店に口座を持ち、6年以上の取引関係がある。万が一、送金を取りやめさせて香港の振込先企業が倒産でもしたら、愛媛銀行が訴訟の対象になる恐れがある。だから、「送金は問題ない」――。
しかし、愛媛銀行の驚きはこれだけでは終わらなかった。
男性はその後も立て続けに石井支店に姿を見せては、今度は1億円を超える送金を依頼したからだった。
・6月13日 1億5,945万8,000円
・6月20日 1億6,200万円
・6月27日 1億6,700万円
結局、5月26日以来、都合5回、送金総額は5億5,185万8,000円に及んだ。
その銀行に口座を持たない人物、また取引実績がない人物が多額の取引を持ちかけてきた場合、どの金融機関でもアラート(警戒)が鳴らされる。愛媛銀行もこれまでマニュアルに沿って与信確認をし、顧問弁護士にも度々相談してきた。だが、過去にある程度、長い期間の取引実績がある場合などは、どうしても“身体検査”は甘くなってしまう。ましてや、歴史的な低金利に苦しむ第2地銀の一支店だ。依頼を受け付けるしかなかったのだろう。
みずほ銀行はどうだったのか。当然、不正送金に対する警戒システムはあったが、愛媛銀行からの情報には何も問題がなかったという。
愛媛銀行の一支店、石井支店を舞台にした多額の海外送金は一時、行内でも話題となっていたが、時間の経過とともに忘れ去られていた。何ごともなければ、そのまま終わっていたかもしれない。だが年が明けると、この取引は金融当局を震撼させる問題へと発展するのだった。
役員欄に制裁対象者の名前
きっかけは1本の電話だった。年が明けた18年1月上旬、財務省所管の四国財務局に1本の電話が入った。「共同通信記者」を名乗ったその人物は奇妙なことを口にする。
「昨年6月、愛媛銀行の石井支店から行われた香港への5億円を越える送金は不正なマネーロンダリングの可能性がある」
そして、それについて取材がしたいというのが電話の趣旨だった。しかも、電話口で共同通信記者を名乗るその人物は、
「この海外送金の背景には国際的な詐欺集団グループが控えている」
と、自信ありげな口ぶりで付け加え、名前とともに自らの連絡先として携帯番号を告げたのだった。
内容がショッキングなものだっただけに、電話を受けた四国財務局総務部は念のため、愛媛銀行側に事実関係の確認を求めた。すると、愛媛銀行が取引の事実を認めたことから事態は急展開していく。
まず、四国財務局は愛媛銀行に当該人物の確認を指示した。大阪支店が、男性を同行に紹介した税理士を伴い、男性が経営していた会社を訪ねた。ところが、大阪市内のその住所は“もぬけの殻”。慌てて男性の携帯電話を鳴らしてみたが、すでに繋がらなくなっていた。
一方、四国財務局は共同通信松山支局に電話をかけてきた人物を照会したところ、在籍の事実はなく、携帯電話もやはり繋がらなかった。
不正送金ではないか――。
金融庁は内々に、愛媛銀行から送金を委託されたみずほ銀行を通じ、香港・恒生銀行の振込先口座「K Barun Company」を洗い出した。すると、重大な事実が浮かび上がる。問題のK社が、北朝鮮との国境に近い中国・黒龍江省の商社と取引関係にあること、黒龍江省の商社が北朝鮮との密貿易を行っていたことが判明したのだ。
それだけではない。金融当局を緊張させたのはK社の役員欄に記載されている人物の存在だった。当初、英語表記で見過ごされていたが、それをハングル表記にしたところ、その人物は国連安全保障理事会の制裁委員会が指定した制裁対象者の1人であることが明らかとなったのだ。
日本国内から北朝鮮への不正送金の疑いが濃厚となってきた。
金融当局は箝口令を敷く一方、事態の深刻さを首相官邸に伝える。安倍政権はテロリストなどへの資金提供を規制する法律を成立させているだけでなく、そもそも日米同盟の根幹にもかかわる問題だ。日本の捜査当局はその後、内偵を進めたが、男性の足取りは掴めていない。
それでも、この案件についてはみずほ銀行経由のコルレス取引が行われていることから、米財務省は事実を把握していると見られる。
事実、前述したように、米財務省から出向している大使館員から「愛媛の件は調査が進んだか」と、幾度も問い合わせが入った。だが、金融庁はそのたびに「いや、足取りは掴めていない」と答えるほかなかった。
捜査権限のない金融庁には、これ以上打つ手はないのだ。
頭を抱える金融庁
地銀、信金への一斉通達
「ついに“北朝鮮の卵”が孵化してしまった」
金融庁内では、愛媛銀行の案件がこのような表現で語られてきた。北朝鮮の不正な資金源がついに明るみに出た、という意味だという。そして、“北朝鮮の卵”を抱えているのは、愛媛銀行だけではない、というのが金融庁内の共通認識だ。
そこで昨年6月、今回のFATFの第4次審査も見据えて、全国の地銀と信用金庫などに異例の注意喚起を促す通達を送っている。愛媛銀行のケースを例に、多額の入出金が突然行われていないか、顧客の送金目的に不自然な点がないか、などについて各行に報告を求めたのだ。
これを受け、マネロンに利用された疑いがあるとして、金融庁は昨年9月、埼玉県信用組合への立ち入り検査に乗り出している。不正が疑われる海外への送金が、過去2年間で19億円に上ったことが判明したのだ。送金先には北朝鮮関連企業があるとも報じられた。金融庁は調査を進めたが、やはりそれ以上の足取りをなかなか掴むことができない。
事情を知る金融庁関係者は、厳しい表情で溜息を漏らす。
「愛媛銀行の案件などについて、米財務省が怒っているのは、間違いない。米国の安全保障に関わるからだ。今後、何らかの制裁を受けてもおかしくないだろう」
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source : 文藝春秋 2019年12月号