古今亭志ん朝 完璧でない完璧主義

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多くのファンに惜しまれながら、 落語家の三代目古今亭志ん朝(ここんていしんちょう)(1938―2001)は63歳でこの世を去った。惣領弟子の初代古今亭志ん五(しんご)氏(1949―2010)が語る名人の素顔。

 入門して間もない頃のことです。当時、(志ん朝)師匠は日暮里の志ん生師匠の家で暮らしていました。私は志ん朝の弟子でありながら、志ん生師匠のお世話をするのがもっぱらの仕事でした。

 朝方、2階に掃除に上がっていくと、師匠の部屋が凄いことになっているんです。ラジオの落語番組に出演する前で、夜通し稽古していたんでしょう、オープンリールのレコーダーを前にして師匠が座っていて、脇に何かびっしり書き付けられたノート、灰皿には煙草の吸殻の山、ウイスキーのボトルが一本ほとんど空になっている。思わず「落語ってそんなに稽古しなきゃ駄目なもんですか」って聞いちゃったんです。

三代目古今亭志ん朝 ©文藝春秋

 すると師匠は、「お前なんかに言ってもわかんないだろうけどな、俺は志ん生のせがれで、名前が先に出ちゃった。テレビなんかにも出てるから、顔は知っていても、俺の落語は聴いたことがない、という人がおおぜいいる。下手な噺をすれば『なんだ、評判ほどじゃないじゃないか』と言われてしまうんだよ」と答えてくれました。落語界のサラブレッド、御曹司と言われた師匠は、それだけのプレッシャーと闘っていたのです。また、芸に対してはいい意味で、負けず嫌いの見栄っ張りでした。目指しているところが高いから、いつも自分に厳しかった。

 師匠が稽古というものをとても大事に考えていたために、かえって我々弟子は相当な苦労をしました。なかなか師匠に稽古をつけてもらえないのです。中途半端なことが嫌いで、弟子に教える前に、まず自分でも稽古し直す、自分があまりやらなくなった噺を教えるときなどは、昔作ったノートを引っ張り出したり、他の師匠に稽古をつけてもらってから教える、といったことまでやっていたようです。ただでさえ殺人的なスケジュールですから、師匠にとってこれは大変な負担だったと思います。

 だから私らから「稽古つけてください」と言われると、ギョッとした顔をする。これこれの噺をと言うと、「何それ、いつやんの。暇になったらな」。暇になんかなるはずがありません。それでいて、よそのお弟子さんたちには結構稽古をつけたりする(笑)。

小言ひとつでも上手かった

 そのかわり、私は志ん生師匠からいろいろな噺を教わりました。それをあとでうちの師匠に聞いてもらうのですから、考えてみれば贅沢な話です。それも時間がないから、稽古場は師匠の愛車の中。寄席の楽屋の前に車を止めて、師匠が運転席に座り、後ろの座席で私がしゃべる。楽屋入りする人たちが気付いて、みんな師匠に挨拶していくから、きまりが悪いけれど仕方がない。おかしなところがあると、「そりゃ親父がよっぽど具合が悪いときに教わったンだね。たとえ志ん生が教えても、間違いは間違いなんだ。それを聞く耳を持たなくちゃいけないよ」と直してもらい、師匠はそのまま車で次の仕事に向かう。そんな具合でした。

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source : 文藝春秋 2008年9月号

genre : エンタメ 芸能