「ガチ中華の祖」である。この人がいなければ、今日のパクチーの隆盛や羊肉ブームはなかったかもしれない。いまでは当たり前のように楽しまれているナチュラルワインと中華料理の組み合わせも先鞭をつけたのはこの人だった。
味坊集団代表・梁宝璋(62)。中国に生まれ育ち、32歳で来日し、日本語もわからないまま飲食の世界に飛び込んだ。2000年に神田に構えた「味坊」が人気店となり、以来すべてガチ中華でありながら、同じ業態が二つとない15店舗を構えるに至る。

店のコンセプトは様々だ。生まれ育った中国東北地方の味を提供する「味坊」に始まり、鉄鍋料理を提供する「味坊鉄鍋荘」、羊に焦点を当てた「羊香(ヤンシャン)味坊」、昨年は高級ラインの「美羊(びよう)味坊」も開店した。茨城と埼玉には店で使う無農薬野菜を育てる畑を持ち、足立区には漬物や餃子を作る食品加工工場を構える。
さらには羊肉の輸入業に乗り出し、茨城県に宿泊付きのオーベルジュ「梁餐泊(りょうさんぱく)」までオープンさせた。
事業展開だけ見ると「遣り手の実業家」のようだが、実際に会うと構えたところのない拍子抜けするほど気のいいおじさんだ。店でも中国語なまりで「たくさん飲んで!」と人懐っこい笑顔で、ボトルから酒をじゃぶじゃぶ注いでくれる。
「もともと中華料理店を始めたのは暮らしていくためでした。店を大きくしたり、お金を儲けることにそんなに興味はなかったんです。でも続けるうちに、声をかけてくれる人が現れて、新しいことができるようになった。それで気がついたら、いろんな店が増えちゃった(笑)」
その屈託のない話しぶりからは想像もできないが、海を越えてここに来るまでの梁の半生は、まさに波瀾万丈の冒険物語だ。
氷点下30度の食卓
1963年5月、梁は中国東北地方の黒龍江省チチハル市に生まれた。冬は氷点下30度以下にもなる。長く厳しい冬を、人々は漬物と保存食で乗り越えてきた。
「私の母はもともと日本人でした。戦後の混乱で中国に残された、いわゆる『残留孤児』。幼少時に中国の家庭に引き取られ、日本の出身だということを隠して育てられました。そうして中国人の父と結婚し、私を産んだ。料理上手の印象がありますが、家庭の食糧事情はかなり厳しかったみたいですね」
当時の中国は食料配給制が敷かれていた。1953年頃から米や小麦粉などの食料品は国家管理となり、人民には「糧票」と呼ばれる食料切符が支給された。だが、1人あたりの割当量はごくわずかだ。
「母に聞いた話では、お米の月の割当は1人500グラムくらい。お米は月に数えるほどしか口にしませんでした。でも、粟やコーリャン(中国・インドで飼料や酒の原料として使われる雑穀)なども美味しかったですよ。硬かったけど(笑)」
東北地方の黒龍江省では米は貴重品だった。主食は雑穀や収量の多いトウモロコシ。粉に挽き、水で練り上げて生地を作る。半球状の鉄鍋の内側に貼りつけ、煮込み料理の蒸気で蒸しパンに仕立てる。
「家にも大きな鉄鍋が一つあって、それで作る煮込み料理が美味しいんです。鉄鍋に貼りつけた蒸しパンをちぎって煮込みと一緒に食べるのが何よりのごちそうでした」
後に梁自身も「味坊鉄鍋荘」で手掛けることになる「鉄鍋炖(ティエグオドゥン)」という様式だ。
「もともと黒龍江省には少数民族も多く、煮込み料理が盛んな地域でした。だいたいどこの家でも鍋一つでおかずを煮込むんです。タンパク源は豆腐や水切り豆腐を薄く延ばした干豆腐。煮込むと味が染みて美味しい。肉は高いからあまり食卓には上りませんでした。いま味坊の代名詞となっている羊肉なんて滅多に食べられません。お祝いの時、年に何回か口にするくらい。砂糖も高級品で甘いものは年越しなど特別な日だけでした」
食材に限りのあるなか、母は工夫した料理を食卓に乗せ続けた。
「母は本当に料理上手でね。酸菜(サンツァイ、白菜を塩漬けして発酵させた漬物)など、少ない配給でも工夫して美味しいものを作ってくれました。母が料理している姿が好きで、食事の支度をする母の隣にいることが多かったですね。『今日は何が食べたい?』と聞いてくれるんです。
季節の野菜の具で餃子も包んでくれました。特に東北地方の餃子の具は、肉はもちろん、白菜、ニラ、セロリ、ニンジン、卵など何でもあり。だから貧しくても工夫次第で美味しくなるんです。冬は寒いから外に出しておけば、大体のものは保存できますから(笑)」
高い素材に頼らずとも、美味しいものはできる。それは後の味坊にも通じる原体験だった。“味の種”はチチハルの暮らしのなかで育まれた。
羊肉の味を覚えた19歳
梁は、絵を描くのが好きだった。気づけばいつも絵筆を手に持つ、おとなしい子供だったという。中学を卒業するとチチハルの美術専門学校に進学した。専攻は商業美術(コマーシャルアート)だった。
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