落語家の林家彦六(はやしやひころく)(1895―1982)は1912(明治45)年、三遊亭三福に入門。1950(昭和25)年には八代目林家正蔵となったが、先代正蔵の長男三平の死後、正蔵の名跡を返し隠居名彦六を名乗る。「とんがり」とあだ名される硬骨漢としても知られ、生涯長屋住まいを貫いた。その生き方を弟子の林家木久蔵(きくぞう)(現・木久扇(きくおう))氏(1937―)が語る。
私が彦六師匠のところに入門したのが昭和36年。それから亡くなるまで、20年以上お付き合いをしました。その間、側で見ていて終始感じたのは、分をわきまえた人だったということです。師匠は亡くなるまで長屋で暮らした人ですが、「起きて半畳寝て一畳」を実践していた。本当に貧乏だった時代もありますけど、生活振りはつましかった。
師匠はよく家で牛丼を作ったんですが、使う具は牛すじなんです。肉屋さんと特約していて、石油缶に一杯の牛すじをまとめて買ってくる。それを何回もお釜で湯がいて、脂を捨ててというのを繰り返して、うんと柔らかくなったものをお醤油と日本酒だけで煮つめて味を整えるんです。これをご飯の上にかけた牛丼です。昔は、カメチャボといって吉原帰りの遊客が、精をつけるために食べたものらしいんですが、とにかく安くてうまい。師匠の誕生日に弟子が何人か集まり、若い者と一杯やる席などでも、この牛丼と焼き豆腐に沢庵が出るくらいでした。
これは兄弟子から聞いた話ですが、食器が箪笥にしまってあった時期もあったらしいです。食事の時に、師匠が和箪笥のひらきを開けようとしているんで、食事の度に紋付き袴に着替えるとは随分礼儀正しいな、と思っていたら、箪笥の上の段に着物や袴が入っていて、下から小皿や醤油差しが出てきた。食器棚と衣装棚が一緒になっていた訳です(笑)。

私にも弟子のころ強烈な思い出があって、ある日師匠の家で昼ご飯を出された。ところが、丁度、夏でメシがまいっていて少し酸っぱいんです。それでおかみさんに、「これ酸っぱいんですけど」と言うと、返事が「ばかだねぇ、ご飯は腐らないんだよ」(笑)。仕方ないからお湯で何回もゆすぎながら食べたんですが、やっぱり酸っぱい(笑)。師匠とおかみさんが席を外したすきを見て、新聞紙に包んでポケットに入れたんですけど、おかげでポケットの中はビチョビチョ、あの時は酷(ひど)いめにあいました(笑)。
また、弟子の収入にも厳しかった。町内のお祭りの余興なんかがあると、賑やかしということで私たち弟子も師匠と一緒に行って芸をすることがあったんです。それで頼んだ人がお礼を師匠のところに持ってくると、「こんなに貰っちゃいけねえ」と言って半分返しちゃう。ギャラが5000円だとすると2500円を私たちの目の前で戻してしまうわけです。本当にこれには弱りました(笑)。
それから、けじめをはっきりさせる人でしたね。師匠は浅草に住んでいて、稲荷町から寄席のある新宿まで地下鉄の定期を持っていたんです。しかし、この定期券を寄席に行く時以外の、買い物や映画を観に行く時には「地下鉄にわるい」と言って絶対使わない。必ずその度に切符を買っていました。ただおかしいのは、稲荷町の駅員は師匠の顔を知っているから、別に改札口で何も見ないんですよ。そうすると師匠は、定期をちゃんと持っているぞ、と水戸黄門が印籠を出すように駅員の目の前にかざす(笑)。これには駅員がびっくりしていましたっけ……(笑)。
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source : 文藝春秋 1995年8月号

