十三回忌 立川談志は死んでない

毒蝮 三太夫 俳優・タレント
エンタメ 芸能

「どくまむし」の名づけ親は談志だった! 50年以上の交友歴を語りつくす(聞き手・生島淳)

 2023年、今年は談志の十三回忌になるんだよ。時が経つのは早いものだね。でも、俺はアイツがまだ生きてると思ってるんだ。談四楼や志の輔、談春、志らくと、弟子が頑張ってるし、なにより俺がこうやって談志のことを話すことで、令和の世になっても立川談志のことが若い人たちにも伝わっている。まだまだ、アイツは死んでない。しぶといね、まったく。

 立川談志が亡くなったのは東日本大震災があった2011年の11月21日のこと。談志は1935(昭和10)年12月、毒蝮三太夫は36(昭和11)年3月の早生まれで同学年になる。昭和30年ごろに知り合い、50年以上にわたり交誼を結ぶ。談志は二ツ目で柳家小ゑんを名乗っていた時代だ。ちなみに「毒蝮三太夫」という芸名は、68年に談志がつけたものだ。

 俺が日大の芸術学部に入学してから、周りの連中と「劇団山王」を立ち上げたなかに、小林勝彦という役者がいたんだ。のちに声優として大成功した男だ。「ルパン三世」の峰不二子役の増山江威子も劇団の仲間だよ。で、俺と談志の縁をつないでくれたのが小林だった。

 俺は中学校の卒業式で落語を披露するくらい落語好きだったもんだから、そっちの方に知り合いが多かった小林に「誰か落語家、紹介してくんないか」と頼んだんだ。そしたら「俺が知ってるのは小ゑんだ」というので、出演していた有楽町にあった第一生命ホールに行って楽屋で挨拶したのが最初の出会いだった。

 でも、第一印象は最悪だったんだ。小ゑんは当時、流行していた「マンボズボン」を穿いて、上は赤いジャンパーにベレー帽。「なんだか、チャラチャラした奴だな」と思ってね。

 ところが運命ってのは分からない。俺が大学の帰りに国電、いまの山手線だな。それに乗ってたら、新宿から着物を着た妙な奴が乗ってきて、俺の目の前に立った。それが小ゑんだったんだよ。「いやぁ、この間はどうも」と挨拶して話をしたら、近所に住んでることが分かって、小ゑんが「降りてなんか乗せよう」と言ったの。「乗せよう」ってのは楽屋の符丁で、「食べよう」ってこと。もしも、国電で偶然出会ってなかったら、友だちにはなってたかもしれないけど、また違った形になってたかもしれない。人生ってのは、分からないものだね。

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source : 文藝春秋 2023年3月号

genre : エンタメ 芸能