ハナ肇とクレージーキャッツの中心メンバーとして、昭和30年代から40年代にかけて一世を風靡した植木等(うえきひとし)(1927―2007)。高度成長期の日本を笑いで支えたスターの素顔を元付き人でタレントの小松政夫(こまつまさお)氏(1942―2020)が語る。
「うちの小松です。いまに大スターになりますから。よろしくお願いします」
どこへ行っても付き人の私をそんなふうに宣伝してくれました。早くに父を亡くした私は15歳上の植木を「おやじさん」と呼びましたが、本当に息子のように気遣ってくれていたのです。
植木の付き人兼運転手になったのは1964(昭和39)年、植木が37歳のときです。当時ハナ肇とクレージーキャッツといえば、テレビでは「シャボン玉ホリデー」や「ザ・ヒットパレード」などの人気番組があり、「スーダラ節」に続くヒット曲も連発していました。「ニッポン無責任時代」など映画は年に4本が封切られ、日劇のショーは1日3回公演でも満席という大変な人気ぶりでした。
その中心にいた植木は、過労で数カ月の療養を余儀なくされます。私が専属運転手に採用されたときは、まさに入院中。初対面は病室でした。それでも映画の公開予定はつまっている。病室を抜けて撮影したこともあります。

喜劇役者になろうと博多から上京した私にとって、植木等は憧れの人でした。ハンサムで歌唱力は抜群。コントでは女たらしや酔っ払いなど常識の枠にとらわれない人物を演じ、「お呼びでない」で大爆笑をとる。「なんというセンスだろう」と惚れ惚れしました。運転手になるまで、私は今のお金で月収100万円を稼ぐ車のトップセールスマンでした。それが、月給7000円で、週の睡眠時間が10時間という生活へと激変します。それでも辛いと思ったことはありませんでした。
私生活は、コントからは想像できないほど、真面目で家族思いの人でした。なにしろ酒が一滴も飲めないのです。お正月に「お祝いですから」とお猪口を逆さまにして高台に酒を注いだら、舌の先をちょっと濡らしただけでも具合が悪くて動けなくなったほど。外食といえば、たいてい一膳飯屋です。
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source : 文藝春秋 2013年1月号

