「スーダラ節」、映画「無責任」シリーズで一世を風靡したコメディアン・植木等(1927〜2007)。長男で作曲家の比呂公一氏が、その素顔を明かす
私が中学2年生の頃、父は「ハナ肇とクレージーキャッツ」の植木等として人気が出て、いきなり周囲が騒がしくなりました。谷啓さんがよく車で父を迎えに来ていましたが、「1週間に10時間しか寝られない」状態だったそうです。父は、「スケジュールを見ると休みが全然ないんだ。セットの隅で5分でもいいから寝ないと体がもたないよ」と言っていたものです。私が高校生で、父が30代後半の頃には、疲労で黄疸が出て、倒れてしまったこともありました。病室で「俺に万が一のことがあったら、母さんと妹たちを頼むぞ」と言われたのです。だから、今も憶えているのは「勉強ばかりするなよ。男は体を鍛えろ。いざ、これから大仕事をするという時に体が付いていかなかったら元も子もない」という父の言葉です。
家での父は穏やかで子煩悩。父が帰ってくると3人の妹たちは大喜びで「お父ちゃま」と絡みついていましたね。もともとが寺の息子で、小学生の頃から檀家を回ってお経を上げていたという「お坊さん」ですから、酒も飲まないし外で遊びもしない。芸能人にありがちのスキャンダルも一切ない。人の悪口や仕事の愚痴も聞いたことがありません。
映画『ホラ吹き太閤記』の主題歌では「銭の無いやつぁ俺んとこへ来い」と唄っていましたが、それを真に受けた人が「金が無いから来ました」と、自宅を訪ねて来たことがあったんですよ(笑)。その時も父は追い返すわけでなく、「どこから来たの? これ、帰りの電車賃。温かいものでも食べて帰りなさい」とお金を渡していました。
食事も魚の干物と漬物、みそ汁があればいい。一切贅沢はしない人でしたが、日本中のファンから蟹だ果物だと贈られて来るので、冷蔵庫は二つありました。結局、贅沢な食生活になってしまうんですが(笑)。
私から見て、父の芸能人生は三つに分けられると思います。もちろん第1期はクレージーキャッツ時代。第2期は昭和52(1977)年に、舞台で将棋棋士の坂田三吉役を演じてからシリアスな演技をする俳優となり、たくさんの映画賞を受賞した時期。第3期は90年代、クレージーキャッツ結成35周年で、改めて注目された時期です。
私は日大芸術学部の学生時代から、作曲家のすぎやまこういちさんの元で音楽に携わっていましたが、第3期の頃には、父と仕事をすることも多くなりました。入れ歯洗浄剤の「タフデント」など、CMソングを私が作り、父がそのCMに出演することも。とはいえ、若い時分からそれまで、「親の七光り」はまったくありませんでした。それが嫌で私はペンネームを名乗っていましたし、父も息子の私を売り込むようなことはなく、「仕事は順調か?」と訊かれるくらいでした。
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