『ゴジラ-1.0』がアカデミー視覚効果賞を受賞し、“日本特撮の父”円谷英二(1901〜1970)が再評価されている。本多猪四郎監督&円谷の『ゴジラ』シリーズの洗礼を受けた映画監督の金子修介氏が円谷特撮の魅力を語った。
円谷英二の特撮映画に初めて触れたのは昭和36(1961)年7月、僕が6歳だった頃に公開された『モスラ』です。監督は本多猪四郎、特技監督が円谷という布陣。ゴジラ、ラドンに続く怪獣映画で、僕は親と一緒に渋谷の映画館へ足を運びました。その年の4月に黒澤明監督の『用心棒』も公開されていまして、邦画がまだ華やかなりし時代でした。僕ら家族は休みになれば話題作を観て、その後はみんなで外食をして帰る。そんな生活に娯楽としての映画がある中で『モスラ』に出逢いました。
まずモスラは可愛い。子ども時代の僕はご多分に漏れず虫が好きでしたから、とっつきやすい怪獣でしたね。ゴジラに勝てるところや、ザ・ピーナッツ演じる小美人が守護神として崇拝していることなど、対ゴジラのライバルとして人気キャラクターになれる要素が満載でした。
その翌年には『キングコング対ゴジラ』が公開されました。2大怪獣の対決にワクワクしましたが、まだ本多猪四郎&円谷英二コンビの名前は意識していませんでした。
初めて2人の名前を知ったのは、小学校3年生の時に観た『モスラ対ゴジラ』(64年)のパンフレットを読んだ時です。見開きに2人が並んで紹介されていて、「監督と特技監督という役割があるんだ!」と知ることが出来た。ちょうど同時期に東京オリンピックが開催されていて、大会後に「どの選手が印象に残ったか?」と先生に訊かれたんです。その際、僕は「円谷選手です、なぜなら円谷監督と同じ名字だから」と答えるとみんなキョトンとしてた(笑)。今ならVFX(視覚効果)のスタッフを知ってる人がいるでしょうが、昔は特撮に携わる人名を知らないのが普通だったんです。
昭和38年に円谷プロダクションが創立された頃には、すでに僕は怪獣少年になっていました。当時の百科事典にも日本が編み出した特撮の項目ができ、「世界屈指の技術である」みたいな説明があった。その際は「身びいきかな?」と首を傾げました。というのも、円谷の怪獣が着ぐるみだということや、ウィリス・オブライエンが手掛けた『キング・コング』(33年)や後続のレイ・ハリーハウゼンがストップモーション・アニメを駆使していることを知識として得ていたからです。それに特撮は上手い下手より、どれも愛すべきものなんじゃないかと感じていた。だからこそテレビで『ウルトラQ』(66年)が始まった時には幸せな時間を過ごせました。
この『Q』と同年に放映が開始された『ウルトラマン』で全国の子どもたちの脳裏に「円谷」という2文字が決定的に刻まれたと思います。とくに『Q』がインパクト大でした。なにしろ毎週テレビに怪獣が出てくるわけで、僕も手製の怪獣事典を作ったほどです。ちゃんと恐竜と怪獣を分けて説明したりして(笑)。だけど、この頃には創始者・円谷英二は後進に道を譲り、昭和45年には亡くなってしまった。
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