「東京ブギウギ」「別れのブルース」をはじめ、昭和の歌謡界に数々の名曲を残した作曲家・服部良一(1907〜1993)。その孫で同じく作曲家の服部隆之氏が、音楽一筋に生きた祖父への思いを語る。
うちは祖父、父(服部克久氏)、僕と三代にわたり作曲家ですが、僕が20代で音楽家になった頃には、祖父は脳梗塞で倒れ、あまり話せなくなっていた。だから、音楽談義に花を咲かせたり、僕の曲を批評してもらうことは、残念ながらできなかったんです。
父の話では、元気だった頃の祖父は、人をからかうのが好きで、家に来たお客さんがトイレに行っている間に、ハエの形をしたおもちゃをカステラに刺しておいて、驚かせたりしていたらしい。また、大のビール党で、すごい勢いで飲むものだから、立食パーティーでは“服部番”の人が、ビール瓶をケースごと持って後からついて行っていたなんて話も聞いたことがあります。
僕は17歳で渡仏し、パリ国立高等音楽院を目指したのですが、実は入学までに2浪しており、落ちるたびに祖父から手紙が送られてきました。
《人生は一日一日が修業なんだ。おじいちゃんも大阪から一人で東京へ出て、親の面倒を見て今日までになった。あとになって見るとすべてが楽しい思い出となる事だろう》と激励してくれたかと思えば、《服部家の三代目が今巴里で勉学中と云う事は皆が知って居る》《これから何年間が君の人生に大きな結果を残すのだよ 克久は其の間にフランス語をマスターして居たよ》と、プレッシャーをかけてくる(笑)。
祖父専用の原稿用紙に踊るような文字で書かれたこの手紙は、今も大切に保管しています。祖父から「いつも見てるぞ」と言われているようで、背筋が伸びる思いがするんですよ。
今年3月に放送を終えたNHKの朝ドラ「ブギウギ」には、笠置シヅ子さんをモデルにしたヒロイン・福来スズ子と関わる作曲家として、祖父をモデルにした羽鳥善一も登場しました。祖父は四六時中、音楽のことばかり考えている人で、「音楽それすなわち人生」だった。だから、自分の曲を発表できないような状況になると非常に焦る。ドラマでも、スズ子が歌手引退の意向を告げた際に羽鳥が狼狽する様子が描かれましたが、まさにそのとおりだったのではないかと感じています。また、羽鳥が「東京ブギウギ」のメロディを思いついて、喫茶店に飛び込み、紙ナプキンに書いたというのも実際にあったこと。指揮をするときの「トゥリー、トゥ、ワン、ゼロ」というカウントダウンは、さすがにしなかったようですが(笑)。
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