あれだけ汚いことをやっても、あの国が認められてきたのはなぜか
※小林 旭さんが登場したグラビア「日本の顔」もぜひご覧ください
あれは、7月の初旬だろうな。それまで気にもしたことのなかった和泉雅子が、突然、俺の思考の中に出てきた。日活時代、みんなでパーティなんかした時の姿だとか、和泉雅子の経営するホテルで開かれた会に、川地(民夫)やらと行ってやった時のことだとかが、ふっと、思い出の中に出てきたんだね。なぜこんな記憶が浮かんでくるのか。一遍、連絡してほしいのか。そう思っていたら、矢先、死んだよ。「ああそうか」と、ニュースを見て思った。「私、さよならします」って、知らせてきたんだね。
宍戸(錠)がやっぱりそうだった。何度か電話がかかってきて、何回目かに俺から折り返したら、「俺は電話なんかしてねえよ、なんだよ」なんて頓珍漢なことを言い出したんだ。最後の電話でも元気そうに「90歳まで行くぞ」と言うから「おう行ってくれ」と返したけど、ひと月後、訃報に驚いた。
もっとすごいのは、この等々力界隈で何十億と土地を持っている地主の幼馴染が、6月に3回、電話をかけてきたこと。電話口で突然、「京都にいるときゃ 忍と呼ばれたの~」と歌い出して、「俺、歌えるだろ、『昔の名前で出ています』、俺、歌えてるよな」と、何を言うかと思えば、歌って終わり。その前も、「北国の~」と始まってね。3度目で途絶えたと思ったら、1週間後に倅から連絡が来た。「すみません、親父が亡くなりました」と。
川地民夫も、沢本忠雄も然りなんだ。みどり(妻の青山京子)の時だって、死ぬ前日に病院で、ああでもない、こうでもないと他愛ない会話をした。「また明日ね」「うん、またね」って。いまはみんな、死んじゃったね。
死ぬということは、しようがないと言えば、しようがないことだ。しかし、それを本人はどう感じているのだろうかということに、いま、とっても疑問を持ったりする。死ぬ間際、みんなどういう思いでいたのだろうということにね。

70周年に向けて、回顧録『マイトガイは死なず』を刊行し、記念コンサートで各地を回る小林。最後の銀幕スターはいま、何を思うのか。ジョン・ウー監督も崇めたアクションスターにして、大瀧詠一も惚れたロックンロールスターの原点を辿る。
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