親子のかたちは時代を映す。昭和59年から40年続いた長寿連載、一号限りの豪華リバイバル
正直に言うと、あまり母のことについては書きたくない。なぜ書きたくないかというと、僕と母の間には埋められない問題があるから――というわけではなくて、母が非常に調子に乗りやすいからだ。こういった仕事は家族に黙ってこっそり引き受けているのだが、母は日本中に張り巡らされたおばさんネットワークのどこかからかならず情報を得る。不届きもののおばさんが僕の母に連絡し、「息子さんがあなたのことを書いてましたよ」と伝えてしまうのだ。僕がどれだけ努力しても、母はまず間違いなくこの原稿を読み、自分について書かれていることに満足しているだろう。読んだあとコピーして、友人や親族に配っているかもしれない。だから本当はあまり母について書きたくない。
関係ない読者の方には非常に申し訳ないのだが、この原稿を読んでいる母に、この場を借りて10文字だけ伝えておく。「静かにしておいてくれ」

というわけで母についての話をするのだが、前述の通り僕から見た母は調子乗りだ。お喋りで明るくて友人も趣味も多い。うっかりやで口が軽くて、プライドは高くないがミスを指摘されると少し落ち込む。たまに怒るのだがまったく怖くない。旅行と美味しい食べ物と割引クーポンと海外ドラマが大好きだ。小学校の教員を定年前に辞め、おばさん仲間と定期的にゴルフに行っている。息子の目からは、人間に生まれたことを世界一楽しんでそうに見える。あなたの周りにも、1人くらいそういう人がいるのではないか。それがウチの母だ。
僕が小説家になったきっかけも、母が読書好きだったからだ。まったく本を読まなかった小学生の僕になんとか本を読ませようとして、「本を読むと国語の成績が上がる」とか「本を読むと他人の気持ちがわかるようになる」とか「本を読むと立派な大人になれる」とか、あの手この手を使って説得しようと試みてきたが、小学生にして母のことを少し舐めていた僕には通用せず、諦めて「1冊読んだら500円あげる」という取引を持ちかけてきた。この取引が僕には非常に効果的で、僕はアガサ・クリスティの小説を読むようになった。小説を読んだ証拠として、母と本の内容の話をした。そんなことを繰り返すうちに、僕は自分で勝手に読書をするようになった。
重大なネタバレ
読書の入り口としてアガサ・クリスティを勧めてきたことからわかるように、母はミステリー小説が好きだ。とはいえ、ミステリー小説ならなんでもいいわけではなく、いくつかの条件がある。一、本格ミステリーではないこと。二、主人公が死なないこと。三、善が悪を倒し、概ねハッピーエンドで終わること。四、どんでん返しは必須ではなく、動機やトリックが現実的なものであること。
僕が母に本を貸すとき、母はそれらの条件について質問してくる。「この本、主人公は死なない? 暗い話じゃない? ハッピーエンド?」みたいな感じで。僕は長年、その習慣が理解できなかった。主人公が死なず、ハッピーエンドで終わることを知っていたら、どれだけピンチに陥っても緊張感が生まれない。小説家が必死に考えた展開も台無しだ。
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