彷徨(さまよい)の旅に没入する
本作のなかには、たくさんの数字が登場する。何年後、何人、何歳と詳しく説明される。また職種や場所の名前もしっかり書いてある。世界探偵委員会連盟とか、南部地方の研究施設とか。
それでいて主人公の探偵とともに、ふわふわした不思議な異国の街に迷いこみ、心もとなくさまよっているような読み心地がする。それは題名の通り、探偵が帰れない、からかもしれない。この探偵はある日探偵事務所に通じる路地を見失ってからというもの、二度と帰れなくなってしまい、それ以来ずっと仮暮らしの生活だ。
帰れないなんて大変な問題だし、早急に解決するべきじゃないかと思うが、探偵は迷子のままで依頼主の元へ出かけ、失せ物探しや人探しを請負い、解決していく。うーん、他人の謎よりまず自分の謎を解明した方が良いのでは……とも思うけど、段々探偵のそのマジメというか、お人好しな人柄に惹かれてゆく。

さきほど数字や固有名詞がちゃんと書かれていると書いたが、本当に大事な情報は巧妙にぼかしてある。出てくる人たちの名前は(仮名)だし、世界各国を回っている探偵の訪れる場所の国名も分からないし、令和の今よりだいぶテクノロジーの進化やAIの普及が進んでるっぽい近未来も、年代が分からない。この本の世界では、台風などの自然現象が人為的に操れるのではないかという議論が真剣になされていて、今現在私たちの世界では陰謀論と呼ばれている説が、より真実味を増している。“これは、今から10年くらいあとの話。”というフレーズが何度か出てくるが、(あれ、じゃあこの“今”っていつぐらいなんだろう……)などと考えると次第に頭がボンヤリしてきて、催眠術のような効果も感じた。
どことなく不穏な空気に覆われている地球で、探偵はグローバルに活躍して事件を次々解決しているのに、読んでると余計謎が深まってゆくような気分になれるのが、本書の不思議な魅力だ。普通探偵モノの推理小説というと、名探偵が次々と謎を解決し、最後ズバッと名台詞をキメる瞬間にカタルシスを感じるはずだけど、本書はそのような爽快感ではなく、もやもやと夢の中にいるような、連続性があるような無いような、刹那の中にいるような、あいまいさが積み重なってゆく。
するとカタルシス系の推理小説を読んでるときには得られない、ものすごく恐い状況では無いけど、いやに不安になる夢を見ているような、没入感に浸れた。
この小説を読んでいると、人間にとって、過去がいかに大切かが分かる。失われた記憶がある探偵が、ようやく過去に過ごしていた国を訪れたとき、探偵は自分の思い出に触れる。“懐しい”というじんわりした感動が、彷徨(さまよい)の旅に生気を吹き込む。
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