“馬賊化”した世界で司馬遼太郎は甦る

没後30年司馬遼太郎

片山 杜秀 慶應義塾大学教授
ニュース 歴史

いま知っておくべき論点を、専門家がコンパクトに解説する「文藝春秋オピニオン 2026年の論点100」。この人気ムックの記事を「文藝春秋PLUS」でも紹介します。

 司馬遼太郎の代表作は? たとえば『国盗り物語』。斎藤道三や織田信長が主人公。彼らが国を盗る。戦国乱世だ。国は誰かと契約して領有するものでない。盗むものである。『国盗り物語』に限らない。司馬の小説のかなりは同趣向だ。司馬の文学の大テーマはまず「盗む」であると言ってもよい。『新史 太閤記』では豊臣秀吉が、『覇王の家』では徳川家康が、『播磨灘物語』では黒田官兵衛が諸国を盗り、日本を盗ろうと才智を巡らす。『関ヶ原』では家康と石田三成が“天下盗り”を巡って“最終決戦”をする。幾ら才に長けても天下泰平ではどうにもならない。国が盗れるのは乱世ならばこそ。

片山杜秀氏 ©文藝春秋

 すると、司馬は戦国乱世を愛したから盗むという主題に行き着いたのか。それとも逆か。司馬の場合はやはり盗むの方が先かと思う。司馬は少年時代から大陸で馬賊になりたいと夢見ていたのだから。馬賊の仕事は、地道な生産の積み重ねよりも、疾風怒濤の略奪や博奕的な冒険にあろう。そんな司馬が小説を志すと、戦国大名に辿り着く前にしばしば書いたのは盗賊物や忍者物だった。最初の長編小説は忍者を主人公とする『梟(ふくろう)の城』。忍者もまた様々なものを忍んで近づいて盗むのを仕事とする。そして馬賊の博奕的な冒険には、盗みばかりでなく、危険を冒しての交易も含まれるだろう。冒険的な商業である。司馬は大阪人。大阪は商都。司馬には山崎豊子を思わすほどに商いの小説を書く才があった。たとえば『菜の花の沖』。江戸期の廻船商人、高田屋嘉兵衛が主人公。司馬としては珍しく天下泰平の江戸後期を舞台とするが、淡路島から出た海商を描くとなると、いかにも江戸的な農本主義本位の世界観とはだいぶん違ってくる。商いの場が蝦夷地。ロシアと擦れあう。馬賊というか海賊小説的に展開できる。ここで冒険的な海賊精神が英国の資本主義を発達させたことを思い出してもいい。とにかく高田屋嘉兵衛は司馬好みなのである。

「盗る」から「商う」へ。地道にこつこつと「作る」のはあまり好きではない。どんどん移動し、流動する。司馬には、四半世紀にわたって書き継がれた『街道をゆく』という膨大な紀行文があるが、それがまさに司馬の何たるかの象徴である。陸路か海路を辿り続けてどこにも安住しない。そして「盗る」も「商う」も一瞬で積みあがったり消し飛んだりする。そこに快感がある。馬賊に憧れた司馬ならではの世界観であろう。

 そんな小説家は当然ながら、戦国乱世に匹敵するもうひとつの魅力的地平を発見し展開した。幕末維新期である。そのとき国は盗るものではなかった。作り変えられねばならぬものであった。しかもなるたけ速やかに。直接的外圧が時間的余裕を与えない。かくて電光石火で国を改めようとする志士が現れる。まこと司馬好み。代表作が生まれる。『竜馬がゆく』だ。主人公は、土佐の志士、坂本龍馬。維新に向かってひたすら「ゆく」。『街道をゆく』のように止まることなく。『世に棲む日日』では長州の吉田松陰と高杉晋作が、『翔ぶが如く』では薩摩の西郷隆盛と大久保利通が、革命に向かって躍動する。しかし『燃えよ剣』を書き、土方歳三を日本史のスターのひとりに押し上げ、維新を阻もうとする新選組の人気を高めたのも司馬だ。そこに矛盾は? ない。土方も近藤勇も多摩の農民。技芸と才智で階級社会をぶち壊す。勤皇か佐幕かに関係ない。新選組も革命的なのだ。

 ところで幕末物の『竜馬がゆく』と戦国物の『国盗り物語』はいつ書かれたか。前者は1962年から66年にかけて産経新聞に連載され、1968年にNHKの大河ドラマになった。後者は1963年から66年にかけて『サンデー毎日』に連載され、1973年に同じく大河ドラマになった。二作はほぼ並行して執筆されていた。時代は高度成長期の真っただ中。日本人は野心的であった。それぞれの国盗りや維新を夢見ていた。しかも性急に。戦国乱世や幕末維新の疾風怒濤の成功モデルほど、人々の実人生にわくわく感を注入するものはなかった。司馬の国民的作家としての名声は、この時期、急激に確立していった。

司馬遼太郎 ©文藝春秋

司馬の好みとは

 むろん高度成長は日本を大国化する。人口も増えていた。民でも官でもあらゆる組織が膨満してゆく。しかし司馬は巨大でメカニックで持続的なものが苦手だったろう。戦国乱世でも幕末維新でも、司馬の好みは個人の才覚で太く短く爆発的に歴史を動かした英雄に第一義的にある。司馬は、家康や秀吉よりも信長を描くと冴える。龍馬も松陰も晋作も隆盛も利通も歳三も早くに亡くなる。青春小説や夭折する者の物語。司馬が輝くところである。池波正太郎のように年寄りを喜んで書く気性がない。松本清張のように巨大な機構に興味があるわけでもない。司馬は1968年に日露戦争を頂点とする『坂の上の雲』を書き始め、傑作とするが、それは、馬賊ならぬ騎兵の秋山好古と、才気煥発な参謀の秋山真之と、夭折する正岡子規とを巧みに配した青春文学に仕立てたゆえだろう。日露戦争後、国家社会の肥大化が増し、硬直化し、個人の役割が減退する時代になると、司馬の筆は鈍ってしまう。国家なるものを徹底して相対化して、個人の才覚が前面に立つかたちで、盗ったり、ぶち壊したり、革命的に改造したり、あるいは国家を飛び越えて活動したりするのが、司馬文学の真骨頂なのだから。

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source : ノンフィクション出版 2026年の論点

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