「美しい青空をこんなにも憎んだのは今回だけ」中東で足止めの文藝春秋編集部員、カタール→サウジ陸路14時間の脱出劇

vol.158 〈特別編〉

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 休暇でウィーンに向かったはずの「文藝春秋」編集部員が、アメリカ・イスラエルのイラン攻撃によって、経由地・ドーハで足止めとなった。

 

 イランからの報復攻撃で地下シェルターに避難した後、ドーハ市内のホテルに移動したが、連日のミサイル攻撃による爆音と振動に恐怖を感じながら生活することとなった。彼女は、いかにして帰国したのか。

帰国の目処は全く立たない

 突如始まったイランでの軍事衝突により、ドーハで足止めされて3日目となった3月2日。イランからのミサイル攻撃が続き、ホテルのわずかな物音でも空爆ではないかと怯えながらの生活が続いた。

フライトキャンセルを知らせるカタール航空の投稿 ©文藝春秋

 朝9時(以下、現地時間)、カタール航空の公式Xをチェックすると、当日のフライト運航は全てキャンセル。この後、7日まで空港は軍の管理下に置かれ、再開することはなかった。帰国の目処は全く立っていない。

 慣れない土地で、ずっと乾燥した室内にいるせいなのか、鼻と喉の調子が悪い。空港で預けたきり、相変わらず手元に戻らないスーツケースが早く届くことを祈りながら眠りにつこうとしたが、状況が状況だけに胸騒ぎがしてなかなか寝付けない。

「intercepted (迎撃した)」速報が流れる

 爆発音で目覚めたのは、翌3日深夜1時半のことだった。窓の方から「ドーン!!」という低い音がした。窓からの飛来物に備えてカーテンを閉め、窓から離れた低い位置で頭を守る。ホテルの枕をできる限り手繰り寄せた。そしてすぐに避難ができるよう、服を着て荷物をまとめる。数分遅れて、攻撃を伝える携帯のアラーム音が耳をつんざく勢いで鳴り響いた。

 テレビをつけると、カタール現地メディアの「Al Jazeera」が速報を報じ、「intercepted (迎撃した)」という言葉が何度も耳に入る。Xでも、カタール国防省がミサイルを迎撃したと、機械的に伝えた

“The Ministry of Defense of State of Qatar announces that armed forces intercepted missile attack.” 
(カタール国防省によると、軍がミサイル攻撃を『迎撃』した。)

 アラームが解除され、落ち着いた頃に窓の外を覗く。暗い空には長い雲のような筋があった。これがカタールを狙ったミサイル、それを迎撃したミサイルの軌道の跡だと分かるのに時間はかからなかった。

 次はいつ、どこに、どのような攻撃が来るのだろうか。ホテルに滞在しているとはいえ、安心して眠れる日は一日もなかった。このように先の見えないカタール生活は、7日間続くこととなる。

部屋のカーテンを閉めて、外には出ない生活

 外務省が短期海外旅行者にネットで情報配信している「たびレジ」からは、〈屋内退避を強く奨励〉、屋内にいる場合〈窓から離れる〉という指示が来た。 

在カタール日本国大使館から届いた「イランからの攻撃に伴う注意喚起(3月3日8時30分)」

 イランの狙いはカタール国内の米軍基地だけでなく、市内の民間施設やホテルから近い空港にも広がっているという。市内でミサイルの残骸を見た、市街地で火災が起きたといったSNSの投稿に恐怖心が煽られる。

 私は日中もミサイルに備え、部屋のカーテンを閉めて、外には出ない生活を続けていた。ただ、長引く避難生活のため、ホテルの滞在客は思い思いに過ごしており、晴天の中ビーチで散歩したり、スポーツを楽しんだりする人の姿も見られた。

 食事会場に行くと、この数日で顔見知りになっていたオーストリア人がいないことに気づく。メッセージを送ると、前の晩に政府のチャーター機で帰国したという。ヨーロッパは中東との距離が近いこともあるが、対応が非常に早い。その様子を見て、日本はいつ動くのだろうとじれったさを感じた。

 日本の外務省から、サウジアラビアのリヤド、もしくはオマーンのマスカットまで陸路で退避させること、そこから日本まで政府チャーター機での邦人輸送を検討すると発表があったのは、攻撃が発生してから5日が経過した、5日11時頃になってからだ。

サウジアラビアなら帰れるかもしれない

 その頃になると、中東諸国でもUAEやサウジアラビアの空港では、足止めされた客を帰国させるための限定便の発着が始まっていた。ただ、依然としてドーハ・ハマド国際空港は軍による管理下に置かれ、閉鎖されている。

 3月5日朝9時、世界中で止まっていたカタール航空が、サウジアラビアのリヤド~ドイツのフランクフルト便から運航を再開すると発表した。ドーハからは、車で10時間かかるマスカットより、6時間で行けるリヤドの方が近い。いざサウジ経由で帰国するとなったらビザ申請に時間がかかるかもしれないと思い、オンラインでサウジアラビアのeVisaを申請することにした。

攻撃開始前に撮影したドーハ・ハマド国際空港 ©文藝春秋

大使館から届いた【緊急】のメール

 この日の12時過ぎ、再び爆音が鳴り響く。耳元で爆破しているかのような大きな音で、部屋では窓がキシキシと揺れていた。「Al Jazeera」を見ると、ドーハで、イランからのミサイルの迎撃に成功したという。晴天に広がる雲の跡。美しい青空をこんなにも憎んだのは、後にも先にも今回だけだろう。

ドーハで迎撃されたミサイル ©時事通信社

 この状況では、いつ別の場所に退避することになるか分からない。食べられるときに食べておこうとレストランに入ったところで、「【緊急】」と件名に記されたメールを受信した。在カタール日本国大使館から、「たびレジ」登録者に向け、カタールからリヤドまでの「退避バス」の乗車希望を聞くアンケートだった。先着順の可能性もあると考えるとつい焦って、回答を入力する手が震えてしまった。果たして退避バスに乗ることができるのか。その不安であれこれ考えていたら、この日の昼食は味がしなかった。

 メールには、リヤドまでの陸路のバスは12時間と書かれていた。食糧を持参するよう記載されていたため、デリバリーで食パン、「オレオ」、クッキー、チューインガム、ティッシュ、簡易トイレをオーダーした。

 デリバリーは、同様に足止めされた日本人によるLINEグループ「カタール脱出!!」でオススメされた「Snoonu」というデリバリーアプリを使用した。

とてもお世話になったデリバリーアプリ「Snoonu」

 18時半、今度はリヤド発の政府チャーター機の搭乗希望アンケートがメールで届く。「バスに続き、チャーター機にも乗れますように」と願いを込めて、アンケートを送信した。

 デリバリーが届いたのは21時過ぎ。その受け取りにロビーに行くと、6日前に空港で預けたままだったスーツケースが、やっとフロント前に届いているのを見つけた。

 スーツケースを開けて、荷物が届いたことの幸せを噛みしめながら眠りに落ちると、まだ陽が昇る前の3時45分、危険を知らせるアラート音で叩き起こされる。4時過ぎにアラート解除のメッセージが来るのを待って、再び眠りに落ちた。

デリバリーアプリで頼んだ非常食 ©文藝春秋

イラン大統領が謝罪した数十分後、再び爆撃音

 翌3月6日、19時頃に夕食を食べていると、リヤドまでのバスに乗れること、そしてリヤド~成田のチャーター機に搭乗できることが、メールで通知された。やっと具体的に帰国の可能性が見えてきて嬉しかったが、肝心のバスや飛行機の出発日時が分からない。まずは、早めに就寝することにした。

 22時半、政府から再びメールが届く。なんと翌朝、たった8時間後の7日の6時半に在カタール大使館近くへ集合とのこと。びっくりして飛び起きて、集合場所までのタクシーをUber(タクシー配車アプリ)で手配し、リヤドで宿泊するホテルも予約する。

カタールでアメリカのレーダーシステムが破壊されたというCNNニュース(3月6日10時頃)

 4時にアラームをかけて部屋の電気を消すと、24時半になって、在カタール大使館からバスの集合日時が1日間違えており、翌8日の朝であると訂正メールが届く。ガッカリしながらタクシーとホテルをキャンセルして、就寝する。

 ドーハ滞在残り1日となった翌7日も生きた心地はしなかった。10時ごろ、イランのマスード・ペゼシュキアン大統領が湾岸諸国など周辺国を攻撃したことについて謝罪し、今後は先に攻撃されない限り、攻撃しないことを発表。BBCニュースを見て喜んだのも束の間、そのニュースの数十分後に、再び爆撃音が聞こえた。ドーハで攻撃が収まる気配はなかった。

大型バス5台、約200人の大移動

 3月8日、いよいよカタールを脱出する日が来た。美味しい食事と寝床を用意し、いつも笑顔で話しかけてくれたホテルスタッフに、感謝と別れを告げた。

 4時に起きてチェックアウトし、手配したUberで集合場所となった在カタール大使館近くの駐車場に到着したのは5時半過ぎだった。久々に太陽の下で待つ間、ミサイルが飛んでこないかヒヤヒヤして、つい空を見上げてしまう。

 駐車場には、修学旅行で乗ったような大型バスが何台も止まっている。そのバスに一度乗り、在カタール大使館敷地内の受付まで移動する。受付には3、4人の女性スタッフがいて、パスポートを渡すと、名前を照合し、改めてバスの号車を割り振っていく。

何台もバスが並ぶ駐車場 ©文藝春秋

 40名ほど乗れる大型バスの車内は、日本のバスに比べてもその設備は遜色なく、なんとスマホを充電できるUSBポートまで付いている。一気に安心感が広がった。

 8時半、約200名を乗せたバス5台がようやく出発した。それぞれの号車に、在カタール大使館の職員が乗車する。私が乗る号車の職員は、ミラノ領事館から応援に駆け付けたという経験豊富な方だった。空港からホテルに入るときは大慌てだったので、このとき初めて、ドーハの近代的な街並みを目にした。

 10時頃にサウジアラビアとの国境に到着。まずはカタールの出国審査を行う。1人ずつバスから降りて個室に入り、空港と同じようにチェックをしていく。周りには紺色のベレー帽を被った警察官がウロウロと歩いている。当局に目を付けられないように、国境周辺では写真撮影はしないようにと、大使館職員から何度も釘を刺された。1時間半以上かかって、ようやくカタールを出国した。

何台もバスが並ぶ駐車場 ©文藝春秋

砂漠の越境に6時間超え

 サウジアラビアの入国審査の建物に到着したのは正午頃。平屋の広々とした建物の中に、空港のようなカウンターがいくつか並んでいる。パスポートを渡すと、事前に申請したビザの名前と一致するか照合する。事前に申請を済ませていたお陰で、順調に入国審査を済ませることができた。バスで到着した我々の他にも、さまざまな国の人たちがいて、中にはカタールに駐在していた日本人家族の姿も見受けられた。

 入国手続きを済ませ、バスで10分ほど砂漠の中を走ると、屋根のある場所でバスが止まった。今から税関検査をするという。貴重品を持ってバスを降り、男女分かれて待合室に入るように言われる。洗面所に行くと、汲み取り式の“ぼっとん”トイレで、トイレットペーパーがあるはずもなく、持参したものを使う。洗面台の栓をひねっても水は出てこないため、ウエットティッシュで手を拭いた。

 サウジアラビアでは、生のフルーツ、豚肉の製品、酒類の持ち込みが禁止されている。バスのトランクを開けて、そういったものがないか、チェックをしているそうだ。ひんやりとした待合室のベンチに腰をかけて、ただ時間がすぎるのを待った。30分ほど待っただろうか。バスに戻るように呼ばれた。

 ドーハ市内から国境まではバスで90分ほどだったが、サウジの税関を終えたときには、出発からすでに7時間半が経過していた。

高い砂漠の丘で、先が見えない ©文藝春秋

 バスには、さまざまな日本人がいた。休学して世界一周している大学生、ルワンダを目指していた男性、ヨーロッパの船旅に向かっていたツアー集団、出張中の会社員など、長いバス旅の合間にぽつりぽつりと自己紹介をして、それぞれのドーハでの体験を語り合った。

 17時、砂漠に沈みゆく夕陽が窓の外に見えた。バスが走る高速道路のレーンだけは舗装されているものの、すぐ道路沿いには3メートルほどの高さの砂の丘があり、その先はどこまでも砂丘が広がっている。こんな状況ではあるが、地球はこんなにも美しいのだと、私は静かに感動していた。

砂漠に沈みゆく太陽 ©文藝春秋

 20時半、ずっと砂漠を走っていたバスが、スーパーやガソリンスタンドが数軒集まった集落に着き、目が覚めた。トイレを探すが、男性用しか見当たらない。ヒジャブを被った女性を見つけ、細くて暗い道を付いていくと、ようやく女性用トイレがあった。サウジアラビアは厳格なスンニ派のイスラム教徒が多い。灰色の薄汚い野犬が吠えている横を通り、バスの席に戻ると、異様なテンションの現地の男性が勝手にバスに乗り込んできた。

「Japonais(ジャポネ)?」

 職員の方が丁寧に声がけし、バスから降りるように頼んでいた。後で聞くと、ちょうど今日のお祈りが終わり、12時間絶食するラマダン期間の貴重な夕飯を食べ終わった時間帯。珍しい外国人を見つけてテンションが上がってしまったらしい。

トイレ休憩をした広場には、お店やガソリンスタンドが並ぶ ©文藝春秋

 ドーハの在カタール大使館を出発してから14時間、22時半にリヤドの大きなホテルに到着。在サウジアラビア日本国大使館の職員が誘導し、2階の小会議室に集められた。不安でいっぱいだった陸路の旅を終えて一安心していたが、職員の説明を聞きながら、まだこれから飛行機での移動が残っているという現実を突きつけられる。

フライトまでの時間を過ごすホテルの小会議室 ©文藝春秋

 会議室には簡単な食べ物や、ユニ・チャームが提供してくれたオムツやティッシュ、生理用品などが用意されていたほか、体調が優れない人は医務官の診察を受けることもできた。職員から翌日の説明を受けたのち、各自で周辺のホテルを手配するか、会議室で雑魚寝をするかを選ぶことになった。私は少しでも長旅の疲れを残さないように、予約していたホテルで僅かな時間ながら休息をとった。

政府のバスで到着した一時待機所のホテル ©文藝春秋

中東脱出へ

 3月9日、朝7時半にホテルのロビーで集合し、バスでリヤドのキング・ハーリド国際空港を目指す。車窓からは、洗練された建物や建設中のメトロなど、急速に発展を遂げている街の姿を垣間見ることができた。空港に近づくと、テーマパークの建設地のような場所が見えた。「EXPO 2030 Riyadh」の看板があった。4年後にリヤド万博があるらしい。1時間ほどで空港に到着した。

大掛かりなリヤドの工事現場 ©文藝春秋

 13時半、政府がチャーターしたエチオピア航空の機体が離陸した。ほぼ満席。281名の乗客は、日本に帰れる喜びで顔をほころばせている。普段なら離陸前に寝てしまう私も、フライトマップが気になって仕方がない。サウジアラビアを抜け、オマーンを抜け、インド上空に辿り着いた時、ようやく中東を脱出できたことを実感できて、胸をなでおろした。

初めて乗るエチオピア航空の機体 ©文藝春秋

 機内を見渡すと、バスで知り合った顔も多い。始終日本語が飛び交う機内に、すでに日本に着いたような安心感が広がっていた。約10時間のフライトを終え、日本時間3月10日の朝6時半、成田空港第1ターミナルに着陸した。旅行者である私たちのために奔走してくれたカタール、サウジアラビアの大使館の方々、外務省の職員や自衛隊員、エチオピア航空のスタッフなど、本当に大勢の方に支えられて、無事に帰国することができた。中でも感謝を伝えたいのは、ドーハで同じホテルに宿泊していた日本人女性2人組だ。帰国の目処が立たず落ち込む私を、明るく励ましてくれた。2人がいなければ、長く辛い10日間を乗り越えられなかっただろう。

 入国ゲートを抜けると、出迎えの集団の奥に、家族の顔が見えた。第1弾の記事を読んでくれた職場の同僚からも「おかえり」というメッセージがたくさん届いた。

楽しげに日本語が飛び交う機内 ©文藝春秋

いつどこで戦争が始まるかなんて、誰にも分からない

 帰国して数日が経つが、ドーンという轟音、空襲を伝えるアラート音、そして、現地テレビに流れ続けていた悲惨な映像が頭を離れない。

 一方で、日本のメディアが報じるイラン関連のニュースを見ても現実味がなく、昨日までいた場所のリアルな情景は到底伝わっていない。

 いつどこで戦争が始まるかなんて、誰にも分からない。ドーハ、サウジアラビアで過ごした中東での10日間、遠い存在だった戦争が他人事でないことを体感した。

source : 文藝春秋 電子版オリジナル

genre : ニュース 国際