評伝を読んだ後藤田は「書き直してくれ」と激昂した
評伝を書くための後藤田正晴への取材は、月に2回のペースで1年半ほど続けられた。衆議院議員会館の後藤田の事務所で会うことが多かったが、後藤田の個人事務所で話を聞くこともあり、「わしのうちに来ないか」と招かれて、後藤田が侑子夫人と2人で暮らす広尾のマンションの自宅を訪ねたこともある。後藤田と私は、取材を重ねるごとに深い話を交わすようになっていった。
前回書いたように、まず私は後藤田に会って、評伝を書いて文藝春秋から刊行するための取材を依頼し、強く拒絶された。後藤田は、評伝など書いてほしくないと言うのであった。また、版元の文藝春秋が嫌いだと言う。
かつて『文藝春秋』1986(昭和61)年10月号で、中曽根康弘政権で文部大臣を務める藤尾正行の歴史認識をめぐる暴言が「“放言大臣”大いに吠える」という記事になって掲載された際、官房長官であった後藤田は対応に駆けずり回った。藤尾は、いまの日本に擡頭する国家主義的右派の先駆けのような政治家であったが、後藤田はそういう存在を中曽根政権内になんとか押さえ込んでおこうとしたと思われる。それは、右派の突出を阻む「真正保守」の知恵と言えた。
だが事は穏便には運ばなかった。『文藝春秋』のゲラ刷りを事前に入手した後藤田は、記事の一部修正を要求して、文春側から「憲法違反の事前検閲だ」と抗議されることになった。事態は藤尾の罷免で一応の収束を見たが、この苦い経験から後藤田は、文春嫌いとマスメディアへの不信を募らせ、政治家の歴史観の重要性や自民党内右派とのつき合いの難しさに改めて思い至ったことと想像する。
初対面の席で私が、戦時下に後藤田が身を置いた台湾軍司令部に触れる話をしたことで、拒絶から一転して、取材を快諾してもらえた。後藤田は、私が太平洋戦争の知られざる史実を調べている者であることに即座に反応し、後には「波長が合うと思った」と振り返った。
「せめぎ合い」が必要
後藤田と交流を重ねるうちに、理解できたことがある。後藤田は人と関係を築く際に、平坦な関係の延長上に簡単に心を許すタイプではない。互いの波長を通わせるために、「せめぎ合い」にも似た時間を必要とするのだ。それは相手と向き合う真剣勝負なのであり、そこで深く触れ合うものがあると、後藤田はその地肌、柔らかな人間性を少しずつ顕わにするようになる。
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