岡本綾子 「世界のアヤコ」もOBの連発に悩んでいた

岡本 昭重 ゴルフ指導者

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プロゴルファーの岡本綾子(おかもとあやこ)(1951―)は広島県生まれ。高校・社会人でソフトボール選手として活躍した後、昭和49(1974)年ゴルフ・プロテストに合格。日本女子プロの優勝を17アンダーの好スコアで飾る。日本人として初めて全米ツアーにシーズンを通して参加。昭和62(1987)年、史上15人目の100万ドル・プレーヤーとなり念願の賞金女王に輝いた。岡本昭重(おかもとあきしげ)プロは最初のコーチ。

 

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 綾子が大和紡を辞めて私のところ(大阪・池田カンツリー倶楽部)にやって来たのは、昭和48年の1月のことでした。キャデイとして入社したのですが、キャデイの仕事をするのは土、日ぐらいで、あくまでプロを目指す研修生あつかいでした。そのとき綾子は21歳。初めて会った時に「大きい娘だなぁ」と思いましたね。なにしろ、当時の女子プロといえば、樋口久子のような体の小さい人ばかり。それに彼女自身が、いまより太めでしたから、こっちはまず堂々とした体に圧倒されたわけです。

 でも、ゴルフの方はほとんど素人同然。大和紡福井工場のゴルフ練習場で少しやってから、工場長の角貢(すみみつぎ)さんの紹介でやってきたのですが、スウィングはバラバラ。どう見ても「経験あり」といえるほどのしろものじゃなかった。

 ただ、ソフトボールで頂点を極めた(46年和歌山国体で優勝。岡本は大和紡のエースで四番。主将も務めていた)だけあって、体はできていたし、運動神経は抜群でした。しかも女とは思えぬずば抜けたパワーを持っていましたからね。磨けばトップレベルの選手になるだろうと大いに期待したんです。

岡本綾子氏 ©文藝春秋

 そこで、私のもとにいた男子研修生、水並繁と後潟博の二人と一緒に練習させることにした。朝のトレーニングから夕方のラウンド練習にいたるまでほとんど同じメニューで、質、量ともに男子プロさながらの練習を彼女に課したわけです。いま思うと、この男子と一緒の練習が、彼女にとっては大きなプラスになったようですね。綾子は身近にいる男子プレーヤーを相当に研究したはずです。特に、男と女の大きな違いであるパワーの差を少しでも埋めようと努力したことが、彼女のゴルフをさらにパワフルなものにしていったといえるのではないでしょうか。

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source : 文藝春秋 1990年2月号

genre : エンタメ スポーツ