地方自治ジャーナリストの葉上太郎さんが全国津々浦々を旅し、地元で力強く生きる人たちの姿をルポします。地方は決して消滅しない――
「上流」の眠れる価値に気づく
イラストレーション:溝川なつみ
木漏れ陽の射す林で、子供達が駆け回る。落ち葉をかけ合う子、枝に吊るしたブランコに乗る子。ハンモックに揺られて、うっとり目を閉じる子もいる。
裏山の「基地」に歓声が響く(早川子どもクラブ)
山梨県早川町は、南アルプスに連なる山々に抱かれた町だ。
駿河(するが)湾に注ぐ富士川の支流・早川に沿って町域が広がり、そのまた支流の谷に分け入ると36の集落がある。かつては1万人以上が住んでいたが、今では約1000人しかいない。町としては全国で最も少ない。
林の中で子供達が遊んでいたのは「早川子どもクラブ」だ。
廃れゆく上流部の暮らしを研究してきた町内のNPO法人・日本上流文化圏研究所(大倉はるみ理事長、9人。略称・上流研)が開いている。月に1〜2度は空き家の「拠点」に集まり、目の前の川や耕作放棄地で遊ぶ。裏山の林には、親も加わって作った「ツリーハウス」があり、子供には夢のような世界だ。
取材に訪れた昨年12月8日は、町内約50人の小学生のうち15人ほどが参加し、大学生や高校生のボランティアと一緒に楽しんだ。
単なる遊びの場ではない。上流研の中川裕幾さん(34)は「長年の研究で早川町には3つの特徴があると分かりました。谷が深く入り組んだ地形の『早川入り』。そうした厳しい自然を生き抜くために何でも自分でする技術と知恵を持った『まんのうがん(万能丸)』。助け合って暮らす『ゆうげぇし』。それぞれ地元の言葉です。遊びを通してこれらを学んでほしいのです」と話す。
そのため地域の「達人」を招いて炭を焼いたり、畑を荒らすシカを捕獲してさばいたり、郷土料理を習ったりしてきた。昨年11月には、子供が減ってしまった集落の祭に参加し、「子供神輿(みこし)」を復活させた。
上流研は1996年にできた。その2年前に町が策定した「日本・上流文化圏構想」がきっかけだ。
上流は命の水を生み出す。しかし都市に人が集まる時代になり、“下流の論理”に呑み込まれた。だが、下流では環境問題などが起きている。持続可能な社会とするためにも、今こそ自然に合わせた上流の暮らしを見直そう――という構想だった。町はそのシンボル施策として上流研を設立し、町外の若者を研究員として採用した。小さな自治体がシンクタンクを持つ例は全国でも珍しい。
前事務局長の鞍打(くらうち)大輔さん(45)は、早稲田大学の指導教授が、構想の検討や上流研設立に関わったことから、在学中に町を訪れた。
鞍打さんは静岡市に住んでいた小学生時代、地域学習に興味を持ち、友達とミカン農家を取材するなどしたことがある。この経験から「地域を担う人材を育てるには小さい時の体験が大切だ」と感じてきた。そこで「早川の子供がどれだけ地域のことを学んでいるか」を調べた。
「驚いたのですが、家ではテレビゲームなどをして、都会とあまり変わりませんでした」。子供も下流の論理に呑み込まれていたのである。
この問題意識が「早川子どもクラブ」の事業に結びつくのだが、実現は2013年になってからだった。それまでには紆余曲折があった。
鞍打さんが上流研に入ったのは、大学院の修士課程を修了した1999年だ。「あれほどの構想を策定したのだから、さぞや町民意識は高いだろうと期待していました。ところが構想自体を知らない人が多く、上流研については税の無駄遣いだと見る人もいました」と話す。
当時の上流研は、全国の上流部の自治体との交流に力を入れていた。鞍打さんは方向転換して「地に足のついた地域づくり」を目指す。
その頃、町の人口は2000人近くあった。全員に取材して写真と人となりを掲載する「2000人のホームページ」作成に取り組んだ。取材には東京などから学生を招いた。
町の調査研究に来る学生に助成し、学生が夏休みに長期間滞在して集落で手伝いながら学ぶ「地域づくりインターン」も導入した。学生の調査で空き家の多さが判明し、町の対策に結びついた例もある。
「2000人のホームページ」作りの過程では、様々なアイデアを持つ住民がいると分かった。そうした人を後押ししようと「あなたのやる気応援事業」を02年に開始した。
やりたいことを町民の前で発表してもらい、資金を援助するのだ。当初は国の補助金に頼ったものの、町出身者らに呼び掛けてサポーターズクラブを結成し、会費(一般会員年5000円)の一部を充てた。会員には定期的に情報誌「やまだらけ」を送った。早川の歴史や料理、集落の取り組みなどを特集した冊子で、これを見て町を見直した住民は少なくない。
やる気応援事業では、野鳥公園の自然観察路の整備、特産の茶を使った紅茶開発、廃校寸前の小学校へ山村留学生を招くために地元応援団が行う情報発信、日本ミツバチによる養蜂の拡大などが実現した。
全国的な「地方」を応援する仕組みとしては政府の「ふるさと納税」制度がある。だが、返礼品目的のカタログショッピング化しているのが実情だ。それに比べ、早川町のサポーターズクラブとやる気応援事業こそ本来あるべき姿だろう。残念ながら、この事業は申請者の減少などを理由に、15年度で終了した。「やまだらけ」は上流研の会報として年4回の発行を続けている。
ちなみに町のふるさと納税には返礼品がなかったが、今年度から地場産品のPRを目的に返礼を始めた。
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source : 文藝春秋 2020年2月号