国際経済史家のチャールズ・キンドルバーガーは、第二次世界大戦につながる世界大恐慌について、かつてこう述べたことがある。1929年の恐慌があれほど広範で、深刻で、長期にわたったのは、国際経済システムを安定させる責任を引き受ける能力が、それまでの覇権国であったイギリスにはなく、取って代わる大国のアメリカには、その意思がなかったためである、と。どの国も利用できる国際システムを作動させるには、その責任を負う供給者たる大国が必要なのだ。しかし、このとき、そうした存在は欠けていた。
国際政治学者として活躍し、昨年鬼籍に入ったハーバード大学のジョセフ・ナイも、この点を敷衍して「キンドルバーガーの罠」を論じた。彼が警鐘を鳴らしたのは、台頭しつつある中国には、かつてのアメリカのように、大きな責任を負う用意がなく、そのために今後の世界は困難に陥りかねないということだった。米中関係では、二つの大国の衝突は不可避だという「トゥキディデスの罠」がよく語られる。だが、大国が国際秩序を支えようとしないことも問題なのだと、ナイは議論したのだ。
責任を負わない二つの大国
いま、トランプのアメリカはますます世界への責任を負う気を失い、中国にも、その実力が伴っていないように見える。米中二つの超大国は、異なる理由で、これまでの戦後国際秩序をもはや好ましいものとは思っていない。加えて、両国とも自国による決定、すなわち主権を重要視している。トランプ政権は、既存の国際秩序の屋台骨であった国際組織や制度を軽視するだけでなく、時にはそれらを壊し、時には自らの利益のために利用しようと動いている。
中国は、そうしたアメリカの不在を、既存の国際秩序を塗り替える好機と捉えている。ただし、その関与の仕方は、これまでのような自由主義に基づくものではない。アメリカが国際組織への支援を減らしているからといって、その負担を善意で肩代わりしようとはしない。他国の干渉を防ぐ主権重視を声高に主張しつつ、自国の利益にかなう領域を選び、そこに資源を集中させている。中国は、国際秩序の穴を埋めるような存在にはなっていないのだ。

世界を見回すと、実は、後で紹介するように、独裁者たちのクラブのような地域機構までが跋扈している。それらが既存の国際法に代わって、非民主的な政治体制に正当性を与えるような動きまで見られる。
これまでは世界全体を覆う自由主義のプロジェクトの夢が存在してきた。問題があれば集まって話し合い、費用を分担し、ルールを作って互いにそれに従うという国際協調の習慣があった。国連や国際通貨基金(IMF)、世界貿易機関(WTO)といった国際組織は、その習慣が形になったものだ。それが戦後社会だったのだ。そこでは、歩みが遅かったとしても、人権の伸張やグローバルな課題に対する協力が促進されてきた。
しかし今、国際秩序を支えるべき二つの大国は自らが縛られることを拒みながら、国際組織などを新たに設け、利益を追求する構えもみせている。既存の国際組織は形こそ残っているが、機能不全にますます苦しんでいる。リーダーが不在のまま国際協調が大きく廃れるような、人類にとっての底線が迫っている。それが今回の問いである。
国際組織の使い方を変えたアメリカ
トランプ政権にとって、「アメリカ第一」は国際的な孤立を意味しているのではない。スコット・ベッセント財務長官も、就任後の2025年4月の講演で、IMFと世界銀行におけるアメリカの主導力を拡大すると明言している。問題は、そうした国際組織が任務を拡張していることだ、というのが彼の主張である。こうした姿勢は、アメリカの国際組織に対する様々な行動に一貫して見られる。既存の国際組織は欠陥だらけであり、官僚機構は肥大化し、機能不全が続いている。アメリカの貢献も無駄に終わっているのではないか。そう考える彼らは、現状に対して破壊的な再構築を試みている、ということもできる。
カーネギー国際平和財団が今年出した報告書は、そうしたトランプ政権の動きを、(1)離脱・関与縮小、(2)威圧、(3)代替、(4)条件付きの関与継続という四つの動きで説明している。
最初の点については、今年1月の大統領覚書によって、国連関係31、非国連35、計66の国際組織・枠組みからの離脱、または参加・資金拠出の停止が指示され、平和構築に加え気候変動はじめ環境対策における協力に深刻な打撃を与えた。対象には国連気候変動枠組条約(UNFCCC)や気候変動に関する政府間パネル(IPCC)、さらに武力紛争下の子どもや性的暴力を担当する事務総長特別代表の事務所も含まれている。一方、国連本体や世界銀行・IMFからの離脱は指示されていない。
威圧も明確で、資金や分担金をテコにして、強く改革を迫っている。2025年秋には、国際海事機関(IMO)が国際海運による温室効果ガスの排出削減を目指した取り組みとしてネットゼロフレームワークを採択しようとすると、反発したアメリカ政府はそれを支持する国の船舶への入港料金の設定などで脅し、採決は延期された。トランプ政権の価値観にそぐわない課題設定には強く反発する。ジェンダー問題やSDGs(持続可能な開発目標)がそこに含まれている。2025年3月以降、米国連代表部は、SDGsに言及する国連決議に一律に反対する方針をとった。
代替する組織を作る動きも見られる。ガザ問題に関する平和評議会だけでなく、半導体供給網の協力を目指すパクス・シリカや、重要鉱物資源の協力フォーラムであるFORGEがある。
そして条件付きの関与継続だ。IMFや世界銀行に関しては基本方針への回帰を求め、人道支援においては全般的な支援を激減させつつ、アメリカが重要だと考えるベネズエラなどへの集中を求めている。
このようにアメリカの方針に生殺与奪の権を握られてしまえば、資金も枯渇していき、ゾンビ化する国際組織が増える危険性も高い。実際、アメリカの国連分担金の未払いは2026年9月の時点で約13億ドルだ。こうした関与縮小により国連は通常予算の15%削減と、本部の約3000ポストの廃止を余儀なくされた。グテーレス事務総長は、財務規則の見直しか未払い金の納付がなければ、今年7月にも財政が破綻しかねないと警告したこともある。
重要なのは、代替組織を作っていることからも分かるように、アメリカは国際組織のすべてを否定しているわけではない、ということだ。要は、使い方が変わったのである。より短期的な政策利益を追求し、国際組織はそのための道具と見なされている。かつて考えられていたように、国際組織や国際法にアメリカ自身が拘束される意思はない。その一方で、他国にはより多くの資源の提供を求め、同時に、その制度によって縛られることを望むのである。
国際組織の非効率や重複を改める必要はあるだろう。しかし、アメリカの圧力が、それらの専門性や独立性まで損なえば、世界にとって必要な機能が失われる。空白に中国が入り込むこともあるが、それはこれから述べるように限られたものにすぎない。結局、誰にも埋められず、秩序が不在の領域が増えていく。
トランプ政権の姿勢は極めて乱暴だが、バイデン政権も、4年間で多くを回復させられていたわけではない。バイデンはパリ協定と世界保健機関(WHO)に復帰し、国際刑事裁判所(ICC)関係者への制裁も撤回したが、アメリカなど締約国でない国の要員に、その国の同意や安保理付託なしに管轄権を及ぼすICCの活動への反対は維持した。政権交代だけで多国間主義が回復するとは限らない。
中国にとっての国際秩序
中国にとって、現状の自由主義的な国際秩序は、「中華民族の偉大な復興」を果たす今世紀半ばに向けて修正されていくべきものであることは、言うまでもない。その中で特に鍵になるのは、グローバルサウスの動員である。経済支援を軸とした取り組みを進めることで国際社会での多数派を形成し、中国型のルールを輸出し、技術を普及させ、支持を広めていく。それによって国際秩序を内部から変革させ、中国の体制を正当化するような支持を獲得しようとしている。ロンドン大学のスティーブ・ツァンは、オリビア・チャンとの近著でそのように論じている。
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