李方子 もうひとりの“流転の王妃”がひれ伏した日

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旧皇族・梨本宮守正王(なしもとのみやもりまさおう)と同妃伊都子(いつこ)の第一王女として東京に生まれた李方子(りまさこ)(1901―1989)。女子学習院中等科3年に在学中、韓国28代王世子(皇太子)李垠(りぎん)(イ・ウン)との婚約が内定し、大正9(1920)年4月に結婚。翌年生まれた長男は、訪韓のさい不審死。昭和38(1963)年から韓国に住み、その後病死した垠の遺志をついで心身障害児の社会福祉等につくした。山口卓治氏(サンオフィス代表取締役)は方子の日本での資金集めに協力した。※文藝春秋1990年2月号掲載

 

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 日韓併合の犠牲者ともいえる朝鮮王朝最後の皇太子妃、李方子さんは、昭和天皇のお妃候補にもあげられたほどのかたでしたが、敗戦とともに臣籍降下、国籍も在日朝鮮人として登録され、運命的な結婚の業(ごう)を戦後も背負い統けながら生きてこられました。

李方子 ©文藝春秋

 一方、日満一体の名の下に満洲国皇弟溥傑(ふけつ)のお妃となられた愛新覚羅浩(ひろ)さんは、戦後しばらく中国共産党の八路軍に連行され、動乱の満洲を流浪されています。

 そんな“流転の王妃”とでも呼べそうなお二人が昭和55年11月15日、御成婚以来初めて東京紀尾井町の赤坂プリンスホテルで再会されました。ちなみに、そのホテルは方子さん御夫妻の自邸だったところですが、戦後、西武鉄道の堤康次郎に買い取られています。

 お二人の再会の瞬間は、今でもはっきりと覚えています。というのも、浩さんが方子さんに“ひれ伏す”ような格好をなさいましてね。方子さんは梨本宮家、浩さんは嵯峨家のお生まれで、宮家と華族では格が違いますから、浩さんは自然にそうなされたのでしょうが、その光景には驚かされました。方子さんは「もう、そんな時代ではないのですから」と浩さんの手を取られ、そのままお二人とも涙を浮かべられ、その傍らで溥傑さんが、お互い似たような運命を生き抜いてこられたお二人を優しく見守っておられました。

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source : 文藝春秋 1990年2月号

genre : ニュース 韓国・北朝鮮