林芙美子 新人作家に対しむき出しにしたライバル意識

下村 亮一 経済往来社代表取締役

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作家・林芙美子(はやしふみこ)(1903―1951)は山口県下関市生まれ。本名・林フミコ。大正11(1922)年、尾道高女を卒業し上京、幾度かの恋愛に破れながら、露天商、派出婦、女工、事務員等を経験する。昭和3年『放浪記』を「女人芸術」に、ついで「改造」に『九州炭坑街放浪記』を発表。『放浪記』は単行本で50万部を越すベストセラーになった。下村亮一(しもむらりょういち)氏(経済往来社代表取締役)は、編集者として芙美子と交流があった。※文藝春秋1990年2月号掲載
 

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「私は『改造』作家よ」――『放浪記』で文壇の仲間入りをした頃の、林さんの口癖でした。私が初めて会ったのは、昭和7年の冬。日本評論社から発行していた「経済往来」が総合雑誌になる足掛かりとして「創作三十三人集」という別冊をつくることになったんです。社員だった私は、編集責任者として、泉鏡花、谷崎潤一郎、里見弴、志賀直哉といった錚々たる作家陣から執筆の約束を次々といただき、勢いづいて、じゃあ今売り出し中の林さんにも……ということになった。

 林さんはその年の夏、今の新宿区下落合に瀟洒な洋館風の家を借りたばかりでした。半纏のようなものを着て出迎えてくれ、非常にリラックスして人なつっこく話をするのですが、いざ仕事の話になると、一歩も譲らないという印象がありました。「改造」作家とは超一流作家という意味で、「私、『改造』には気分が乗って書けるんだけど、ほかではねえ、筆が進まないのよ」と。

林芙美子

 結局あの洋館には、数十回足を運んだでしょうか。残念ながら「創作三十三人集」への掲載は実を結ばなかったのですが、それ以降も折あるごとに執筆のお願いをしていたような気がします。「書けないのよー全然」なんて、ほとんど泣きそうになってしょんぼりしているときもあれば、いかにも大家という威厳をつくって接してくるときもある。きどっちゃったときの林さんはイヤだなあと思ったものです。林さんと同じく、私もまだ30前後で若かったですから。

 何度か一緒に酒も飲みました。飲み方も独特で、ソファーの上に片膝を上げて、そこに同じ側の肘をついて、目を細めてゆっくりゆっくりグラスを傾ける。傾けながら、プロレタリア文士たちが周囲で激論を戦わせるのをおもしろそうに見ている。本当にご機嫌なときの、林さんのお決まりのポーズでした。

左から、宇野千代、林芙美子、眞杉静枝 ©文藝春秋

 一生懸命なんだなあこの人はというのが、微笑ましいぐらい伝わってくるんですね。今のように、才能があると聞けば、マスコミがあっという間にスターにしてしまう時代ではなかった。ましてや女性で、底辺の生活で体得した生きることへの赤裸々なエネルギーを、そのまま自分の作品にして世に出ようとした林さんには、とりあえず自分を演出することしか道はなかったのかもしれません。

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source : 文藝春秋 1990年2月号