韓国秘密資金総額39億ドルを「核開発」に使った

文在寅の秘密を握る北朝鮮元高官が激白

李 正浩 朝鮮労働党「39号室」元幹部
ニュース 国際 韓国・北朝鮮
 今、北朝鮮内部で何が起きているのか。昨年2月、ベトナム・ハノイでの米ドナルド・トランプ大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長との直接会談が「ノーディール」に終わって以降、北朝鮮の非核化を巡る米朝間の実務協議の進展はない。この間、制裁は続き、昨年11月時点で、飢餓が深刻化しているという。また最近、金正恩の実妹、金与正第一副部長の存在感が増しており、韓国や米国への批判声明は彼女を通じて出されている。さらには新型コロナウイルスの蔓延を指摘する情報もある。

 李正浩(リジョンホ)氏(62)は、金日成主席や金正日総書記の時代から現在の金正恩政権まで3代にわたって約30年間、高位幹部として勤めた。金一族の直属の秘密資金管理機関「朝鮮労働党39号室」の幹部を務めたほか、日本にマツタケなどを輸出する朝鮮大興船舶貿易会社の総社長も務め、金総書記から「首相より仕事ができる」と絶賛されたほどの功績をもつ。

 ところが李氏は、金正恩の叔父である張成沢氏ら多くの幹部が残忍な方法で処刑されたことに衝撃を受け、2014年10月、韓国に亡命した。現在は米ワシントンDC、米政府の諮問役を務める。

 今回、李氏は4時間にわたるインタビューで、韓国からの巨額の秘密資金の使途や、金正恩と愛人の間の隠し子について赤裸々に明かした。(聞き手・朴承珉)

日本との貿易を管掌した幹部

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李正浩氏

 私は1957年に北朝鮮で生まれ、大学を卒業後、80年代半ばから金一族の秘密資金管理機関である「39号室」で30年間働きました。外貨獲得のため、93年に朝鮮大興船舶貿易会社を設立し、社長として4〜5年間運営し、98年に同社の総社長になりました。このポストは、金正日が直接任命する地位でした。

 私は日本との貿易も管掌し、北朝鮮産マツタケを日本に独占的に輸出して外貨を稼ぎました。また、傘下の水産貿易会社からベニズワイガニを年間5000トンずつ境港に毎年輸出していました。日本に入り、朝鮮総連の許宗萬(ホジヨンマン)責任副議長(当時)に会ったこともあります。

 このような功績が評価され、私は2002年に金正日から「労力英雄の称号」を受けました。自動車と金日成の名前が刻まれた時計、カラーテレビなどのプレゼントをもらったほか、その後も同様の配慮をたくさん受けました。

 06年〜07年には香港の石油財閥から投資を誘致することに成功。北朝鮮での石油開発事業と火力発電所の建設などに、10年間で200億ドル投入するプロジェクトでした。金正日はこれに喜び、幹部会議で私を名指しし、「ジョンホは首相より仕事ができる」と褒めたほどです。

 私はこのプロジェクトの責任者となった時、日産の「パラディン」という車を300台輸入することに成功し、金正日にはまた褒められました。金正日はその車を軍部の師団長らにプレゼントしていました。

 そんなこともあって金正日からは特別扱いされていたため、外国勤務の時には子供たちを皆連れて行って勉強させることができたのです。

張成沢との特別な関係

 ところが2011年末に金正日が亡くなって金正恩が政権を握ると、多くの人々が残忍に処刑されるようになった。わずか2年後の13年末には金正恩の叔父でナンバー2だった張成沢をはじめ労働党の高位幹部が粛清されました。しかも、家族や親戚などを含め数百人が高射銃で乱射され、火炎放射器で燃やされ、「土に埋める価値もない」とされ戦車で踏みつぶされた。残虐極まりない処刑を見て、私は耐え難いショックを受けました。

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高射銃で惨殺されたナンバー2の張成沢

 これを見てしまった後、「はたして私たちが忠誠を誓うべき指導者なのか?」という疑問が芽生えました。金日成や金正日も恐怖統治をしたが、指導者が直接乗り出して残虐な処刑を指示することはありませんでした。そのやり方も、これ以上ない残酷な方法です。私は「こいつ(金正恩)は人間ではない」と思いました。

 さらに連座制で1万人以上の人が政治犯収容所に連行され、地方に追放されました。私は「こいつは本当に残忍なやつだ。血糊のついた手で統治するつもりなのか」と、暗澹たる気持ちになりました。

 こんな独裁者の下に仕えていたら、いずれ私もターゲットになり得る。「うちの家族、子どもたちが、政治犯収容所に入れられて人生が台無しになる」。とっさにそう思いました。娘と息子も、友達やその家族が政治犯収容所に連行されるのを見ていました。

 私は張成沢と特別な関係でした。張成沢は石炭輸出を統括していましたが、「国の資源を二束三文で売り払うのか」という批判があったため、年間500万トン以上は輸出しないよう規制しました。それでも13年は規制を2倍も超過していました。そこで私は「北朝鮮の石炭を原料として販売せず、石炭化学工業団地を作ろう」という提案をしたのです。

 13年11月5日、私は中国に依頼して作った企画書を手に、張成沢の事務所で1時間半話しました。張成沢に、「北朝鮮で石炭化学工業を発展させれば肥料が生産でき、メチルアルコールも生産できて戦略物資になる。石炭ガスも生産されるため、北朝鮮にないガスも使えるようになる」と提案し、報告書を広げて話しました。その場には、金正恩がスイス留学時代に親代わりで面倒をみていた李洙墉(リスヨン)副委員長も同席しました。

ガス爆発を装って皆殺しに

 すると張成沢は大喜びし、「非常に良いアイデアだ。よく考えてくれた。投資の規模はどのくらいで、自分が何を手伝えばいいのか。必要なものは何か」と、矢継ぎ早に私に聞きました。私の説明後、張成沢は「具体的に政策を作ろう」と言い、私に政策報告書の作成を指示しました。

 ところが私が政策報告書を準備していたところ、事件が起きました。労働党行政部の張秀吉(チヤンスギル)副部長と李竜河(リヨンハ)第一副部長が処刑されたのです。張秀吉は私の友達です。張秀吉だけでなく、その一族までみな処刑されました。

 それで私も戦々恐々としていたところ、張成沢は12月初めに逮捕されました。張秀吉と張成沢を同時に処刑できなかったのは、張成沢の妻は金正恩の叔母(金正日の妹)である金敬姫(キムギヨンヒ)だったため、うかつに手出しができず、時間差での逮捕となったようです。せっかく国のために良い政策を作ろうと思ったのに……。私との会談からわずか37日後の処刑でした。妻は張成沢の処刑を聞いたショックで首が硬直し、病院に運ばれたほどです。

 その後も「張成沢残党の余毒清算」と称して、張成沢に近かった者の粛清は続きました。張成沢の妻の金敬姫は、「叔父(張成沢)を処刑することは、祖父(金日成)や父(金正日)はもちろん、私の顔にも泥を塗ることだ」と金正恩を批判し続けたため、最後は毒殺されたようです。しかも、金敬姫の毒殺直後、彼女の側近や担当医師たちまでが皆殺しにされました。ガス爆発事故を装い、いっぺんに殺してしまったようです。金敬姫は軽工業部の部長でしたが、その下で総合課長を務めていた人物が私の友人だったので、そうした経緯を私も知りました。

 幸いにも私は粛清対象にはなりませんでしたが、もはや時間の問題です。ついに私は亡命を決心し、14年10月に韓国に亡命しました。その後、16年に米国に渡りました。

髪を刈り上げている途中で……

 金正恩の性格は、非常に即興的で衝動的です。書記室の人から「性格がとてもせっかちで、髪の毛を刈っている途中で立ち上がって出て行ってしまった」と聞いたこともあります。何でも自分がコントロールしないと気が済まないため、猜疑心が強い。だから多くの人々を殺す。情け容赦がない。

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金正恩

 さらなる問題は、諫める人がいないということです。北朝鮮では金正恩は全知全能の神のようなもので、周囲は彼がすべて正しいと思わなければならない。もし彼に諫言する人がいたら、たちまち処刑される。

 核開発を進めたことで「制裁の罠」にかかっており、賢明な指導者ではない。しかし、北朝鮮の高位幹部たちは拍手を送らなければならない。今、金正恩が下り坂に入っているのも、自分と少しでも意見が違う者を皆殺してしまったからです。

 私は金正日と金正恩の2人に仕えましたが、共通点は、国の繁栄発展と人民の生活よりも、自分たちの権力維持しか頭にないことです。

 一方、相違点は外交手腕です。金正日はしたたかに米国を欺き、時間稼ぎをして利益を得る戦略で、核やミサイル開発を進めました。また、南北平和の偽装戦略を進めました。1998〜2007年の10年間、韓国から資金と物資合わせて約70億ドルの支援を受けて核やミサイル開発を推進したのです。

 これに比べ、金正恩は虚勢を張って無謀なことしかしていません。戦略なしに核とミサイル開発に狂ったように執着し、その結果、外部の脅威を最大化してしまった。そのため「制裁の罠」から抜け出せずにいます。人民を塗炭の苦しみに追いやり、没落の道を歩んでいます。

韓国からの秘密資金を運んだ

 私は核専門家ではありませんが、北朝鮮は推定で60〜70発の核爆弾を持っているはずです。開発速度は年々速くなっており、おそらく今年中には100発ほど持つのではとみています。

 その核開発に決定的な役割を果たしたのは、皮肉なことに韓国から提供された秘密資金でした。

 大飢饉に見舞われた90年代後半の「苦難の行軍」の時、北朝鮮では軍の車両をただの1台も動かすことができず、軍需工場もすべて閉鎖されるという悲惨な状態でした。軍隊で兵士が続々と栄養失調で死んで行った時、軍のトップに金正日がいくらかのお金を与え、「油と飴を買ってきて食べさせろ」と言ったところ、軍のトップらが感激し、金正日の手を掴んで泣いたという。これは39号室長が私に言った話です。それほど追い詰められていたのです。

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source : 文藝春秋 2020年5月号

genre : ニュース 国際 韓国・北朝鮮