ジャーナリストの大西康之さんが、世界で活躍する“破格の経営者たち”を描く人物評伝シリーズ。今月紹介するのは、アンソニー・タン(Anthony Tan、Grab創業者CEO)です。
アンソニー・タン
レンタルオフィスの「ウィーワーク」、格安ホテルチェーンの「OYO(オヨ)ルームズ」、配車アプリの「ウーバー」。ソフトバンクグループは、主な投資先が次々と経営不振に陥り、4兆円超の資産売却に追い込まれた。傷心の孫正義社長の心の支えはいまや、この若者かもしれない。
シンガポールに本拠を置く配車アプリ「Grab(グラブ)」の創業者CEO、アンソニー・タン。創業からわずか7年で、同社の企業価値を140億ドル(約1兆5000億円)にまで高めた男だ。会社が世に出た頃は、「東南アジアのウーバー」と呼ばれた。しかし38歳にして400億円超の個人資産を築いた起業家は、微笑みながらこう語る。
「僕らのライバルはキャッシュ(現金)ですかね」
資金繰りの話をしているのではない。スマートフォンでタクシーを呼ぶ配車アプリのサービスは、タンにとって顧客基盤を整えるための「撒き餌」に過ぎなかった。創業から6年が経つと、東南アジアに進出していたウーバーを返り討ちにして同地域の配車アプリ市場で首位に立ち、8カ国168都市で230万人のドライバーを抱えるまでになった。だが本命は配車アプリではなく、2015年に始めた電子決済サービス「グラブペイ」だ。
タンが配車アプリを立ち上げた2012年のマレーシアでは、スマホを操れるドライバーはほとんどおらず、タクシーに乗る客の多くはクレジットカードを持っていなかった。タンはドライバーを相手にスマホの講習会を開きながら、クアラルンプールにスマホが浸透するタイミングをじっと待った。そしてスマホが行き渡ったタイミングを見計らって、グラブペイを導入したのだ。クレジットカードやオンラインバンキング、ATMのほか、コンビニでも入金できる。この「デジタルウォレット(電子財布)機能」は瞬く間に東南アジアの人々に広がり、「現金」に置き換わり始めた。だから、「キャッシュがライバル」なのだ。
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source : 文藝春秋 2020年5月号