「ボクなんかより大きな働きをした人はたくさんいる。同期の谷本君などがそうだった」
2008年7月、元陸軍少尉・小野田寛郎氏(1922〜2014)に終戦関連のインタビューをした際、こう返された。「機会があればご遺族を訪ねてほしい」とも。
フィリピン・ルバング島で戦後29年間「残置諜者」任務を継続した小野田氏がいう「谷本君」とは、諜報、遊撃戦術の教育機関・陸軍中野学校二俣分校一期生の仲間で鳥取県出身、谷本喜久男元少尉(1922〜2001)。戦後も9年間、任地フランス領インドシナ(仏印)にとどまり第1次インドシナ戦争に身を投じた残留日本兵のひとりだ。
新型コロナ感染症による緊急事態宣言の解除後、鳥取の知人を訪問した際にふと思い出し、知人や地元住民らの協力で倉吉市北郊・北栄町の嫁ぎ先で暮らす谷本氏の次女、牧田喜子さん(62)にたどりついた。
「そろそろ遺品なども整理せねばと、家族と話していたところでした」
不意の訪問にもかかわらず、喜子さんは亡父の手記や私信など眠っていた資料群を探し出してくださった。帰国後の小野田氏との記念写真や晩年のベトナム再訪時のスナップもある。大戦中に関与した仏印制圧工作や、敗戦後グエン・ドン・フンと名を変えベトミン(ベトナム独立同盟)の軍事教練やゲリラ戦に携わった記録は貴重だ。
残留日本兵の戦後の独立戦争関与はインドネシアの事例がよく知られる。だが仏印の先行研究は限定的で、主要人物である谷本氏に関しても不正確な記述があり、没年すら定かでないとされてきた。
手記によると、鳥取・河原町出身の谷本氏は1941年に県師範学校を卒業。小学校教員を経て43年、現役兵で地元部隊に入営。翌年中野学校二俣分校などで速成教育を受け、仏印駐屯軍司令部付となって赴任した。
欧州情勢の変化で日本軍は45年3月、関係悪化した現地仏軍の武装解除を企図する「明号作戦」を展開し谷本氏も工作に従事。阮朝バオ・ダイ帝を擁してベトナム独立を宣言させるも、日本敗戦で半年後に瓦解した。
「中野教育の誠とは?」……「新越南人に生まれ替わり、越南独立の為に戦う」
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source : 文藝春秋 2020年9月号