シアーシャ・ローナン
©ロイター=共同
早熟が人間の形をして歩いている。
『つぐない』(2007)のシアーシャ・ローナンを見たとき、私は雷に撃たれたような驚きを覚えた。
大げさに聞こえるだろうが、これは本音だ。全体の印象も素晴らしかったが、彼女がカントリーハウスの内部を足早に歩きまわる場面で、完全にノックアウトされてしまったのだ。あの足音は、彼女がタイプライターを叩く音とシンクロナイズしている。
撮影当時12歳のローナンは、13歳のブライオニーという少女に扮していた。裕福な家に育ったブライオニーは、小説家志望で自意識の強い娘だ。姉のセシーリア(キーラ・ナイトレイ)は、使用人の息子ロビー(ジェームズ・マカヴォイ)に恋しているが、ブライオニーもロビーに寄せる思いを隠さない。
当然、危うい。思春期前の、嫉妬深くて勘ちがいしやすい少女がなにかを仕掛けると、事態はこじれやすくなる。小さな嘘が、大きな破局へと結びつく。
『つぐない』の監督ジョー・ライトは、語りのたくらみも深いが、役者への演技を具体的に付けられる人だ。昔でいえば、マキノ雅弘。マキノは女優に「2歩出て身体をこうまわせ」と指導した監督だが、ライトも、私の驚いた場面で、明らかな振付を施した形跡がうかがわれる。
具体的にいうと、「廊下の端から端までを10秒で歩いて」とか「この台詞は5秒で言い終えて」とかいった指示だ。出したライトも剛胆だが、応えたローナンも見事だ。12歳の新人女優にそれが可能だったという事実に、私は愕然とする。
しかもローナンは、きらめきやすばしこさを強調しなかった。ごく普通に、早足や早口をブライオニーに所属する特性に仕上げていた。あの映画の心拍数は、ここで決まった、といっても過言ではない。
シアーシャ・ローナンは、1994年にブロンクスで生まれた。Saoirseというファーストネームを発音するのはむずかしい。英米ではサーシャと呼ばれているが、アイルランドではシアーシャ。両親はアイルランドからの不法移民で、3歳になった娘を連れて故国に戻った。ローナンはアイルランド育ちだ。
その特性がくっきりと生かされたのは、『ブルックリン』(2015)に主演したときだろう。ローナンが演じたのは、エイリシュという20歳を過ぎたばかりの娘だ。時代は1950年代初め。彼女は母と姉の3人家族で、アイルランド南東部の小さな町で地味に暮らしている。
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source : 文藝春秋 2020年9月号