「慢心した私はウイルスに復讐された」。エボラウイルスを発見し、HIV研究の世界的権威でもある感染症学者が明かすCOVID-19と向き合い闘った日々
<この記事のポイント>
●われわれはCOVID-19の長期的な影響、すなわち後遺症についてもっと理解する必要がある
●ウイルス研究は、理論よりも感染した人々が何を感じたのかが最も重要であると自らが患者になって気がついた
●感染症研究を続けてきて得た教訓は「Act early(早く行動を起こせ)」である
ピオット氏
髪に触るだけで頭が割れそうな痛み
ひょっとして自分がCOVID-19にかかったのではないかと疑ったのは3月19日です。喉も痛くなく、咳も出ませんでした。息切れをしたわけでもありません。私の体に起こった変化はひどい頭痛でした。
まるでバスに追突されたような痛みで、少し熱が出ました。数日前から疲労を感じていましたが、朝から晩まで仕事をしていたせいだろうと思っていたのです。
COVID-19の世界的な感染拡大がニュースになってからも私はかなりアクティブに動いていました。皮肉にもCOVID-19についてあちこちで話をしていましたし、ほとんど毎晩、誰かとディナーをとっていました。
振り返ると、じゅうぶんな感染予防を心がけていたとはとてもいえません。
ウイルス学者の自分は感染しないと高をくくっていたのです。
ピーター・ピオット博士は世界的な感染症学者として知られ、1976年、ザイール(現・コンゴ民主共和国)でエボラウイルスを共同発見したことから、「エボラの父」と呼ばれることもある。また、HIVについての研究でも先駆的な役割を果たし、1996年には国連合同エイズ計画(UNAIDS)の初代事務局長に就任した。現在はロンドン大学衛生・熱帯医学大学院学長を務めている。
それから2日後、髪の毛一本触るだけでも頭が割れそうに痛み、私は疲労困憊でした。体中の細胞が疲れきっていましたが、それでも私は仕事を続けたのです。控えめに言っても、バカなことをしたと思います。そのうち熱が上がって寝ることもできなくなりました。汗が止まらず、症状がどんどん悪化しているのがわかりました。
ようやくPCR検査を受けようと思い、NHS(イギリスの国民健康保険制度)に電話をかけたのですが、まったくつながりません。絶望的でした。イギリスの大きな問題の一つが検査へのアクセスです。医療システムが崩壊することは避けなければなりませんが、もっと効率よく、感染しているかもしれない人にヘルスケアを提供するべきです。
私はしびれを切らして、プライベート・クリニックをやっている大学時代の友人に連絡して、PCR検査を受けました。300ポンドかかった検査の結果は陽性。体調がおかしくなってからすでに1週間が過ぎていました。本当はもっと早く行動すべきでしたが、まさか自分がコロナに感染するとは思っていなかったので、事態を軽く見ていたのです。
4月1日にロンドンにあるロイヤル・フリー病院に入院しました。病院に行く途中、友人たちに「これからどうなるかわからないが、病院に直行する。集中治療室に入れられるかもしれない。集中治療室での死亡率は高いから、どうなるか神のみぞ知るだ」とメールをしました。
感染者は全世界で3000万人超え
最悪のケースが頭をよぎる
幸い、集中治療室ではなく、緊急治療室に入院することになりました。持って行ったのは、パジャマとiPhone、iPad、それと少しの本だけ。部屋には他に3人の男性が入院していましたが、お互いに話す元気もなく、1週間、酸素マスクをつけて、ただただ天井を見つめて過ごしました。もちろん見舞い客は一人も許されません。
入院中に細菌性肺炎に罹患していることがわかりました。正直、最後は人工呼吸器をつけられてしまうかもしれない、このまま天国に行くことになるかもしれないという最悪のケースが頭をよぎりました。
友人からは「あなたは強い。今まで深刻な病気になったことはないから大丈夫」という激励のメールが来ていましたが、私は体のすべての細胞をウイルスに乗っ取られている状態ですから、意思の強さは関係ありません。ただ、自分の体が負けないように祈るだけです。この感染症は免疫が暴走するサイトカインストームを引き起こすことがあり、その場合、重症化して命を落とすこともあります。ひたすらそうなりませんように、と祈っていました。
私の血中酸素レベルは84でした。健康な人であれば、98とか99、90を切ると呼吸不全の状態で、人工呼吸器をつけるかどうかの境界になります。とにかく人工呼吸器をつけることだけは避けたいと思っていました。一度つけるとなかなか外せないことを知っていたからです。同じ部屋の男性は、糖尿病が持病だったので命の危険があると判断されて、人工呼吸器をつけていました。
私は今まで深刻な病気になったことがありませんでした。それだけに自分ではどうしようもないこの状態はかなりのショックでした。大げさではなく死に直面したわけですが、それを自分で経験するのとしないのとではまったく違う話です。
入院してから1週間が過ぎた4月9日、血中酸素レベルが92を超えました。医師から退院してもいいと言われましたが、すぐには信じられませんでした。
病院はタクシーを用意すると言ってくれましたが、私はゆっくり空を見て帰りたかったので、電車に乗って家に向かうことにしました。退院したとき、ロンドンはロックダウンしていたので電車には3人くらいしか乗っていませんでした。
※画像はイメージです ©iStock
戻らない体調
久しぶりに空を見たときは本当に感動しました。私は町の空気を胸いっぱい吸い、緑色の葉をつけた木々を見あげました。そのときの解放感は今でも忘れられません。ようやく家に着き、妻のハイディに会ったときは感情がぐっとこみあげて涙が止まりませんでした。彼女は本当に辛かったと思います。私が病院でどういう状態であるかまったくわからなかったのですから。
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source : 文藝春秋 2020年11月号