横浜のある政界通は言う。「つまり菅は弟にJR利権を与えてきたんだよ」。一体どういうことなのか——
<この記事のポイント>
●菅首相には、三歳下の弟がいて、つい最近までJRグループ企業の重役をつとめていた
●弟は事業がうまく行かず、最終的に2002年に東京地裁から破産を宣告された
●その後ほどなく弟はJR東日本関連企業の幹部で働き出すが、そこに兄である菅首相の影がちらつく
森氏
知られざる企業との蜜月
政権発足からひと月半、新宰相の菅義偉は多忙を極めるなか、同じ団体の会合に2度出席している。東日本旅客鉄道(JR東日本)グループの職域団体「東日本ときわ会」の幹部会がそれだ。1度目は10月7日午後7時10分のこと。菅は東京・飯田橋にあるホテルメトロポリタンエドモントの宴会場「悠久」に駆け付け、いつになく明るい張りのある声でスピーチした。
「私は住田社長のご恩を決して忘れられません。今の私があるのは住田社長のおかげと……」
2度目の会合は10月26日午後6時48分、東京・赤坂の「広東名菜 赤坂璃宮」で開かれた会合に馳せ参じ、同じように挨拶した。
言うまでもなく住田社長とは元運輸事務次官の住田正二(2017年死去)のことだ。1987年に分割民営化されたJR東日本の初代社長に就任した国鉄改革の立役者である。
JR東日本が自民党に働きかけて設立した職域団体であるときわ会は、職員を動員し、選挙の実働部隊となる。衆議院議員の任期満了まで1年を切っているだけに、菅も気を遣っているのだろう。だが、会合での挨拶はそれだけの理由ではない。菅とJRのあいだには、容易に光の届かない深く暗い因縁がある。参加者の一人が嘆く。
「会合では、住田さんの名前だけしか挙げませんでしたけど、最も菅さんの面倒を見たのは松田昌士社長、菅さんの大恩人です。松田の意を受け、そのあと大塚陸毅、清野智、冨田哲郎、JR東の歴代社長はみな強力に菅さんをバックアップしてきた。その恩を忘れて松田の名前を出さなかったのは、腹が立ちます。菅さんは安倍政権の後半、JR東海の葛西(敬之)さんの手前、東と距離を置き始めた。で、松田が亡くなり、今の深澤祐二社長やJR東と仲良くやろうとしているのでしょう。それでも葛西さんに気遣い、松田のことは口に出せなかった」
国鉄キャリアプロパーの松田は長らく病床に就き、今年5月、84歳で鬼籍に入ったばかりだ。現JR東海名誉会長の葛西や元JR西日本会長の井手正敬とともに「国鉄民営化三羽烏」の一人と称される大物財界人である。安倍政権の財界応援団長と目されてきたJR東海の葛西と長年犬猿の間柄にあったのは、知る人ぞ知るところだった。
もとをただせば菅は、松田率いるJR東日本の支援を受け、中央政界で売り出した経緯がある。だが、松田の告別式には供花一つ送らなかったという。JR東日本の古参幹部たちからすれば、JR東海の葛西に寝返ったかのように映ってきた。
たたき上げの苦労人をウリにする新宰相は、「国民のあたり前を実現する」と謳い、携帯電話料金の引き下げやデジタル庁の新設を提唱し、既得権益を打破する改革派をアピールする。半面、政策の多くは特定の企業や業者の要望を丸呑みにし、そのまま実現しようとしているだけのようにも感じる。実務型政治家は、その実、業者の利益代弁者に過ぎないのではなかろうか。そんな菅には知られざる企業との蜜月がある。
「菅には3つ違いの弟がいて、つい最近までJRグループ企業の重役として駅ビルのテナント契約を取り仕切ってきたんだ。つまり菅は弟にJR利権を与えてきたんだよ」
菅の選挙区である横浜の政界通がそう教えてくれた。
松田昌士元会長
知られていなかった弟
秋田県湯沢市生まれの菅には、2人の姉と弟がいる。姉たちが北海道教育大学を卒業して高校教師になったことは私自身書いてきたが、実弟に触れるのは初めてである。
1951年5月生まれの69歳。菅秀介(ひですけ)という。菅本人と同じく秋田県屈指の進学校である湯沢高校から70年4月に慶應大学商学部に進んだ。3歳上の菅は高校卒業から2年後の69年に法政大学法学部に入っているので、ともに東京で大学生活を送っていることになる。終戦前後に生まれた4人きょうだいがそろって大学に通えたのだから、菅家の子供たちは恵まれた環境に育ったといえる。
実弟の秀介については、菅が首相になると、写真誌「フラッシュ」と「フライデー」が相次いで紹介している。神戸市の外車ディーラー「ジーライオン」を中核とし、和菓子の「御菓子城加賀藩」や有田焼の「深川製磁」といった75社を束ねる企業グループの各社の役員に名を連ねてきた。2018年11月には、ジーライオンの創業社長、田畑利彦の息子の結婚披露宴に、官房長官だった菅自身が出席している。が、ことJRとの関係については、いっさい書かれていない。
菅兄弟は社会人として働き始めた時期も近い。兄の1年遅れで慶大に入学した秀介は、74年に大学を卒業。繊維商社「グンゼ産業」に入社する。かたや菅はその翌75年4月、横浜を地盤とする自民党衆議院議員の小此木彦三郎事務所入りした。
住田社長に気に入られ
秘書として仕えた小此木は、菅と同じく横浜市議から自民党代議士に転じている。運輸政務次官や衆議院運輸委員長を歴任し、運輸族議員としての地歩を固めていった。中曽根康弘の腹心として行政改革や国鉄分割民営化に取り組み、国鉄長期債務特別委員長を務めてきた重鎮だ。
菅は梶山静六や古賀誠、野中広務のことを政治の師だと公言してきたが、政界入りの原点は小此木の秘書時代にある。というより、現在にいたる政治手法を小此木から学んだといっても過言ではない。JRとの関係も運輸族議員の小此木から引き継いだものだ。
「何を隠そう、菅が小此木事務所に入るとき彼を面接したのが私です。だから、彼のことはよくわかる」
そう打ち明けるのは、小此木事務所の先輩秘書、岩倉正保である。
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