あえて“翻訳しない”が日韓関係を解きほぐす鍵になる
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▶︎日清・日露は「朝鮮半島」をめぐる列強の利害対立から起きた戦争。その意味で「朝鮮半島」は、まさに『坂の上の雲』の“影の主役”とも言える
▶︎司馬さんは、日本の植民地支配をことさら“美化する”わけでもない。かといって、「すみませんでした」と“頭を下げ続ける”わけでもない。「日本と朝鮮半島」の関係を冷静に捉えていて、今日の我々にも、いろいろヒントを与えてくれる
▶︎司馬さんは、韓国・朝鮮に関して、その都度、自分が思うことを比較的率直に書いていて、無理に全体的な整合性を取ろうとしていない。“翻訳しない”“翻訳しすぎない”姿勢を感じる
片山氏(左)と佐藤氏
「近代日本にとっての朝鮮半島」のテクスト
佐藤 最終回となる今回のテーマは、「日清・日露と朝鮮半島」です。
片山 日清・日露は「朝鮮半島」をめぐる列強の利害対立から起きた戦争で、「朝鮮半島」が実際の戦場ともなり、さらには両戦争の帰結として「韓国併合」がなされました。その意味で「朝鮮半島」は、まさに『坂の上の雲』の“影の主役”とも言えますね。
佐藤 この小説は「近代日本にとっての朝鮮半島」を理解するためのテクストとして読めて、現在にも続く問題を描いています。
片山 とはいえ、『坂の上の雲』では、「朝鮮半島」は、列強が行き来する単なる“通路”のようで、そこにいたはずの朝鮮半島の人々は描かれていません。
佐藤 たとえば沖縄戦の前田高地の戦いを描いた映画「ハクソー・リッジ」と同じです。宗教的信条から銃を持つことは拒絶しながら、「皆は殺すが、僕は助けたい」と沖縄戦に従軍した米国の衛生兵を主人公にした映画ですが、沖縄の住民は1人も出てきません。
片山 米軍も含めた全戦没者約20万人の約半数が沖縄の民間人で、沖縄県民の4人に1人が亡くなり、民間人をこれだけ巻き添えにしたのが沖縄戦の悲惨さなのに、そこは描かれていない、ということですね。
佐藤 はい。日清・日露にしても、朝鮮半島の人々にとっては、本当にいい迷惑でしかなかったでしょう。
片山 ただ、それは、韓国自身の“統治能力の欠如”の帰結でもありますね。甲午農民戦争(1894~95)当時の状況について、司馬さんはこう書いています。
〈韓国自身、どうにもならない。李王朝はすでに五百年もつづいており、その秩序は老化しきっているため、韓国自身の意思と力でみずからの運命をきりひらく能力は皆無といってよかった。韓国が直面したおそるべき不幸はみずからの政府の手で国内の治安を維持できなくなったところにある〉(第2巻、以下同)
司馬遼太郎
善悪では測れない歴史
佐藤 しかし、こう述べる司馬さんを「韓国蔑視だ」と批判するのは、一面的です。
片山 金達寿や姜在彦など在日の作家や歴史家と親交が深く、彼らと『季刊三千里』などで日本と朝鮮半島の古代文化を論じた司馬さんが、少なくとも朝鮮半島に多大な関心を寄せていたことは間違いありません。今日の「反韓・嫌韓」をアイデンティティーとする自称“保守”とは、天と地ほど違います。
佐藤 司馬さんは、日本の植民地支配をことさら“美化する”わけでもない。かといって、「すみませんでした」と“頭を下げ続ける”わけでもない。「日本と朝鮮半島」の関係を冷静に捉えていて、今日の我々にも、いろいろヒントを与えてくれます。
片山 「善悪を問わない」のが「科学」であるはずなのに、「終始、善悪が問われてしまうのは歴史科学の不幸だ」と司馬さんは述べています。
〈「日清戦争は、天皇制日本の帝国主義による最初の植民地獲得戦争である」という定義が、第二次世界大戦のあと、相当の市民権をもって通用した。積極的に日本の立場をみとめようとする意見もある。前者にあっては日本は悪のみに専念する犯罪者であり、後者にあっては正義の騎士のようである。国家像や人間像を悪玉か善玉かという、その両極端でしかとらえられないというのは、いまの歴史科学のぬきさしならぬ不自由さであり、たとえば水素は悪玉で酸素は善玉であるというようなことはないであろう〉
佐藤 確かに、「どうすべきだったか」という善悪の判断ではなく、「どうしてそうなったか」を究明するのが「科学」だ、というのは“当然の常識”のようでいて、現在のジャーナリズムやアカデミズムでは、「歴史」に関しては、必ずしも“常識”になっていません。
片山 もし司馬さんの立場が「曖昧」「中途半端」に見えるとすれば、それは、我々の方が、歴史に善悪の判断を持ち込みすぎているからなのでしょうね。
日清・日露の地政学
佐藤 司馬さんは、「どうして日清戦争が起きたか」について〈原因は、朝鮮にある。といっても、韓国や韓国人に罪があるのではなく、罪があるとすれば、朝鮮半島という地理的存在にある〉と指摘しています。
片山 現在でも、日米露中といった大国の思惑が、朝鮮半島情勢をめぐって激しくぶつかり合っているように、列強の勢力争いの舞台となってしまうのは今も昔も同じで、朝鮮半島の“地政学的宿命”だということですね。
佐藤 はい。そして当時の日本からすれば、朝鮮半島は〈大陸からうける日本列島への圧力を緩衝するための安全用のクッション〉(第3巻、以下同)として存在していました。
司馬さんは〈こういう位置づけのされ方は、朝鮮半島にすむ韓人にとってはおよそ気に入らないことであろう〉とも述べていますが、〈しかし国家というのは基本的に地理によって制約される〉というのが、善悪以前の地政学的現実です。
片山 日本にとって〈安全用のクッション〉であり続けるには、「朝鮮の独立」が不可欠です。現にそこから「朝鮮に対する宗主権」を主張する清国との戦争に至るわけですが、司馬さんはこう説明します。
〈朝鮮を領有しようということより、朝鮮を他の強国にとられた場合、日本の防衛は成立しないということであった。「朝鮮の自主性をみとめ、これを完全独立国にせよ」というのが、日本の清国そのほか関係諸国に対するいいぶんであり、これをひとつ念仏のようにいいつづけてきた〉(第2巻、以下同)
佐藤 要するに、日本が最も恐れたのは、〈朝鮮半島が他の大国の属領になってしまうこと〉。これは「帝国主義の時代」だった当時、十分にあり得る脅威でした。
片山 “地政学的要因”に加えて“時代的要因”も大きいということですね。〈ときに、日本は19世紀にある。列強はたがいに国家的利己心のみでうごき世界史はいわゆる帝国主義のエネルギーでうごいている。日本という国は、そういう列強をモデルにして国家として誕生した〉というのが、当時の国際環境でした。そして日清戦争についても“受け身の戦争だった”としています。
〈日本は、その過剰ともいうべき被害者意識から明治維新をおこした。統一国家をつくりいちはやく近代化することによって列強のアジア侵略から自国をまもろうとした。その強烈な被害者意識は当然ながら帝国主義の裏がえしであるにしても、ともかくも、この戦争は清国や朝鮮を領有しようとしておこしたものではなく、多分に受け身であった〉
佐藤 日露戦争についても、〈要するに、原因は、満州と朝鮮である。満州をとったロシアが、やがて朝鮮をとる。日露戦争にもし日本が負けていれば、朝鮮はロシアの所有になっていたことは、うたがうべくもない〉(第3巻)と、日清戦争と同様に“受け身の戦争”だったとしています。「朝鮮半島」が戦争の原因だった点も、日清・日露で共通しています。
さらに日露戦争の帰結として「韓国併合」がなされるわけで、日清・日露は「朝鮮半島」と不可分の関係にあったということです。
片山 『坂の上の雲』では、こうした冷静な――朝鮮半島の人々からすれば冷酷な――韓国観・朝鮮観を示す司馬さんですが、「街道をゆく」シリーズの『韓のくに紀行』では、一転して〈韓国への想いのたけというのが深すぎて〉〈私は、日本人の祖先の国にゆくのだ〉と“熱い思い”を綴っています。
佐藤 韓国併合後の抗日独立運動についても、〈私が朝鮮人なら死を賭しても独立運動をやると思い、そう思った自分にはげしい感動を覚えた〉とまで語っています。
モンゴルと日本をつなぐ韓国
片山 韓国への関心は10代の終り頃からあった、と司馬さんは述べていますが、やはりこれも司馬さんの“原点”であるモンゴルにつながっています。要するに、日本も韓国もモンゴルも、同じウラル・アルタイ語族で、騎馬民族系・遊牧民族系の“仲間”。司馬さんにとって、韓国は、日本とモンゴルを繋げる“媒介”としてありました。
佐藤 そういう“兄弟意識”がまずあって、明治維新の頃は、たまたま日本の方がうまくいっていたので“兄としての日本”が“弟としての韓国”を列強の脅威から“保護”する役回りになったけれども、もし韓国の方がうまくいっていたら、逆の立場になっていたかもしれない。司馬さんの書き方からは、そんなニュアンスも感じられます。
片山 同感です。司馬さんは、モンゴル・韓国・日本のつながりの証しとして、「日本の東国武士は朝鮮半島からの渡来人に由来する」という話を盛んにしています。
佐藤 一種の「騎馬民族説」ですね。
片山 はい。木曽義仲のような馬に乗り武力に優る東国武士の台頭は、平安期の嵯峨天皇の時代に、没落した新羅から渡来人を多く受け入れて東国に移住させたことに由来し、要するに、新羅を経由してモンゴルの北方騎馬民族・遊牧文化が日本に伝わり、東国武士が生まれた、と。
佐藤 それに対して、西国の方は、中国南方の文化、つまり農業中心の定住文化の影響を色濃く受けている、というわけですね。
東国武士はモンゴル由来
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source : 文藝春秋 2021年5月号