著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、谷川俊太郎さん(詩人)です。
自分のことは自分で
母をおふくろと呼んだことはない。友人との会話で呼んだことはあったが、どこか不自然だった。ずっとお母さんと呼んでいて、変わったのは私に子どもが生まれてからで、それから母はおばあちゃんになった。
一人っ子だったせいもあって母との結びつきは強かったが、私がそれを意識したのは、20代のはじめに結婚してからだ。私が子ども時代と同じに当然のように母と風呂に入るのを、妻がひどく嫌がったのを私は理解できなかったのだ。
小さい時、母が用事で外出して帰りが遅くなると、私は壁の方を向いてメソメソしていて、お手伝いの女性に笑われていた。当時の記憶は薄れているが、愛する女性が死んだらどうしようという不安は大人になってからも繰り返し私を襲った。死んだらどうしようと思ったが、捨てられたらどうしようとは思わなかったのは、幼い私に対する母の愛を私がまったく疑うことがなかったことに理由があると思う。
母は政友会の代議士、今で言えば国会議員の娘だった。祖父は昔の淀城の外堀に面した大きな屋敷を構えていて、母は伯母とともに当時美人姉妹で有名だったそうだ。いわゆるミッションスクールで学んだのだが、宣教師に可愛がられチャペルに用意されたワインを盗み飲みするなど、ちょっとしたおてんば娘だったと聞いている。
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source : 文藝春秋 2021年8月号