『仁義なき』シリーズの広島で全編ロケ――白石和彌『孤狼の血』(2018)
ヤクザに密着取材
2010年の暴力団排除条例の施行以降、ヤクザは銀行口座を開設できず、携帯電話も購入できなくなるなど著しい生活の制限を受けた。そんなヤクザの現況をあからさまに描いた一本のドキュメンタリーが様々な議論を呼ぶ。2015年に東海テレビで放送後、全国の映画館で上映された『ヤクザと憲法』(圡方宏史監督)である。
『ヤクザと憲法』以前に、ヤクザの生活に密着し、そのシノギ(稼業)を描いたドキュメンタリーは作られなかった。
1971年、映画監督の今村昌平は「日本の家族制度とヤクザの疑似家族制度を重ねて考えてみたい」という意図から、テレビ・ドキュメンタリー『日本のやくざ』を企画する。今村は新宿を拠点にしたテキ屋、関東尾津組の尾津喜之助組長に取材の依頼に行くが、博徒系列の組は「賭場を撮られれば、警察に証拠物件を握られる」と反対、テキ屋系列の組は縄張りがはっきりしなかったこともあり、この企画は自然消滅した。
初めてヤクザの組事務所にカメラを持ち込んだのは日本人ではなくフランス人だった。映画監督ジャン=ピエール・リモザンはパリで知り合った稲川会系碑文谷一家組長熊谷正敏に撮影を依頼。熊谷は承諾し、若者が準構成員になる姿を通し、『ヤング・ヤクザ』(2007年)でヤクザの日常を描いた。しかし、熊谷の意向もあってか、リモザンはシノギの描写を慎重に外す。
このように、ヤクザに密着取材することの困難さは、ヤクザはシノギを撮らせたがらず、撮る側はシノギを撮らなければヤクザ社会を表現できない点にあった。
非合法のシノギまで撮った
コンプライアンス(法令遵守)を社是とするテレビ局がこの企画を実現できたのは、元県警警視正と指定暴力団組長のお蔭である。
これまでヤクザを取り締まってきた愛知県警警視正、梶浦正俊にプロデューサーの阿武野勝彦がこの企画の是非を相談すると、「ヤクザは現在見えなくなりつつある。ちゃんと彼らの顔が見たい」と梶浦が企画に賛同し、東海テレビ制作『死刑弁護人』(11年)を観ていた大阪市西成区の指定暴力団、2代目東組副組長兼2代目清勇会会長、川口和秀が「あれを撮ったスタッフならええもん作るやろ。受けてもええんやないか」と取材を承諾したからだ。
川口は各地のヤクザから寄せられる人権侵害を取りまとめる、いわば「ヤクザの人権問題」のスポークスマンで、「ヤクザもいる明るい社会」をヴィジョンとして掲げ、その実現を目指していた。
14年盛夏、大阪堺市にある(2代目東組の2次団体)2代目清勇会の組事務所にカメラが持ち込まれる。圡方は高校野球賭博や覚醒剤販売といった非合法のシノギらしきシーンもカメラに収めてゆく。今村昌平もJ=P・リモザンも撮れなかったヤクザのシノギを圡方が撮れたのはひとえに、川口が「何を撮ろうと使おうとあなたがたに任せる」と容認したからだ。
危機管理、リスクマネジメントなどまったく顧慮しない川口の太っ腹に阿武野も圡方も驚く。阿武野は弁護士の安田好弘(『死刑弁護人』の主役で本作の法律監修を務める)に、川口以下の取材対象が窮地に追い込まれることがないことを確認し、その映像を使った。
口を半開きにして高校野球を見る最年少の組員M、別れた家族の写真をはにかみながら見せる事務局長河野など、丹念に拾い上げられた人物の点描が心に残る。その一方、登場人物が多く、描写が総花的で各人への突っ込みが浅いところがこの作品の瑕と感じる。
取材の終盤、圡方以下のクルーを思いがけない事件が待ち受ける。河野が逮捕され、2代目清勇会がガサ入れされたのだ。大阪府警がカメラを回す圡方を組関係者と勘違いしたのか、蛇蝎のように扱うくだりが映画の白眉である(ガサ入れを克明に撮られた大阪府警4課は本作の放映後、「いくつかのシーンについてお聞かせ願いたい」と東海テレビに電話してきたという)。無防備で人間臭いヤクザたちと、居丈高で尊大きわまる大阪府警の捜査員たちの対比が、「ヤクザの人権の現在」を何より雄弁に物語る。
さらなる事件が起こる。部屋住みの若者Mが組から逃げ出し、ヤクザにあるまじき犯罪を働き、逮捕されたのだ。圡方はMの送検の様子をカメラに収め、Mの破門状を映し出し、それを映画の結末とする。「社会から落ちこぼれてヤクザになり、そこからも弾かれて犯罪者になる」Mの姿に、阿武野は戦慄を覚えた。しかし、阿武野以下のスタッフは協議の結果、Mの事件を完成作品から削除した。21歳のMにはヤクザとしての覚悟がない。Mの姿を映像に定着させて作品に遺すことで、Mの将来を台なしにすべきではない、と判断したからだ。作品の完成度より、対象への配慮を選んだのは、阿武野らがドキュメンタリストである前に、「ヤクザという弱者」を理解する者であったからだ。川口和秀が信じたのも、東海テレビスタッフのモラルと矜持ではなかったか。
「本物以上の擬制の家族」
『ヤクザと憲法』に映し出された、困窮したヤクザの姿を劇映画として描いたのが綾野剛、舘ひろし主演の『ヤクザと家族 The Family』(21年、藤井道人監督)である。
この映画を企画・製作した河村光庸は49年福井県生まれ。『かぞくのくに』(12年、ヤン・ヨンヒ監督)、『新聞記者』(19年、藤井道人監督)、『茜色に焼かれる』(21年、石井裕也監督)など現代社会の暗部に斬り込む作品を作り続けている。
この映画の意図を河村はこう語る(「キネマ旬報」2021年1月上・下旬合併号)。
河村 かつて裏社会を牛耳っていたヤクザが、今のように排除されるに至った歴史は、日本社会の縮図と言えます。1990年代に新自由主義の蔓延が始まり、産業の民営化と規制緩和が進む中で、市場競争の激化による資本や富の偏在が世界的に起こった。それと同時に日本では暴対法(暴力団対策法)ができて、各企業でコンプライアンスへの取り組みが強化され、法律や社会的ルールに収まらないものを徹底的に排除していく風潮が顕著になっていきます。そこから30年間かけて、同調圧力というものが社会全体に広まってきたわけですが、その恰好のターゲットになったのがヤクザなんです。(中略)一元化していく社会に対して、新しい価値観を提供する創造性、多様性がより必要とされています。
『ヤクザと家族 The Family』は、フリーター、非正規労働者、生活保護受給者など新自由主義時代の「見捨てられた者」をヤクザに仮託し、ヤクザの組が家族のない若者にとって「本物以上の擬制の家族」になってゆく過程を描いている。
藤井道人は各章ごとにスクリーンサイズとカメラワークを変え、3つの時代のヤクザ社会の変遷を描く。
第1章は99年。覚醒剤が原因で父親を亡くした賢治(綾野剛)は、ヤクザの組長である柴咲(舘ひろし)の命を救ったことからヤクザ社会に足を踏み入れる。
第2章は6年後の05年。ヤクザとして名を揚げていく賢治は、兄貴分の身代わりとなり14年間服役する。
第3章は19年。賢治が出所すると、柴咲組は暴力団対策法の影響で苦境に立たされている。
第1章と第2章で、みかじめ料以外の柴咲組のシノギが描かれていないところが物足りないが、第3章になると、鰻の稚魚の捕獲や産廃物処理業など、現在のヤクザの細々としたシノギが描かれる。ヤクザが風前の灯であることを判っていながら、組を解散しなかった理由を舘ひろしはこう語る。
「どこがあいつら拾ってくれるよ?」
このセリフは、本連載の前回で西川美和が問うた「(ヤクザが)解体されたあと社会に散らばった彼らをいったい誰が受け入れるのか」という言葉と響き合う。
弱者としてのヤクザを描いた『ヤクザと憲法』と『ヤクザと家族』に対し、時代を1988年(昭和63年)に巻き戻し、ヤクザを思う存分暴れさせ、マル暴の刑事がそれを壊滅させようとする血みどろのエンターテインメントが『孤狼の血』である。
この映画の原作者、柚月裕子は1968年岩手県釜石市生まれ。21歳で結婚し、山形で子育てを終えた40歳の時に作家デビュー。長編第6作の『孤狼の血』(2015年)で日本推理作家協会賞を受賞後、『孤狼の血』の主役、マル暴刑事(大上章吾と日岡秀一)とヤクザとの闘いを描いた『凶犬の眼』(18年)、『暴虎の牙』(20年)を連作した。
ヤクザとはほど遠い環境の柚月が、なぜヤクザに興味を持ったのか?
柚月 私が生まれた釜石市は、気性が荒い漁師町であるうえに、小さいころは新日鐵の高炉が燃え盛り、いたるところで小競り合いがある男臭い町でした。中学生のころから、同級生に人気のあるジャニーズではなく、『セーラー服と機関銃』(1981年、相米慎二監督)でヤクザを演じた渡瀬恒彦さんに心を奪われました(笑)。
10年ほど前の大晦日の晩、『昭和の劇 映画脚本家 笠原和夫』(2002年、笠原和夫、荒井晴彦、絓秀実共著)を読んだのがきっかけで、レンタルビデオ店で『仁義なき戦い』第1作(1973年)を借りました。観終えたとたん、「五部作を全部観たい!」と深夜に車を飛ばしてビデオ屋に行き、『新 仁義なき戦い』シリーズ(1974~76年)や『北陸代理戦争』(1977年)や『県警対組織暴力』(1975年、いずれも深作欣二監督)まで手あたりしだいに借りてきて、年明けまで寝ないで観たんです。いつもどこかもの悲しい松方弘樹さんや、主役を食うほど存在感のある成田三樹夫さんに魅了され、「いつか私は、こういう世界を小説で書きたい」と思ったんですね。
2014年に文芸誌「野性時代」で「警察小説」を書いてくださいというご依頼をいただいたとき、「悪徳警官モノ」で行こう、悪徳警官と敵対するのは暴力団だと考えて、担当編集者に「『県警対組織暴力』のようなものを書きたい」と言ったら、「今まで柚月さんが書いてきた作品のイメージと違いますね」と苦い顔をされました。それでも「しっかりとエンターテインメントに仕上げますから」と頭を下げて書かせてもらったのが『孤狼の血』でした。
柚月氏
ヤクザと警官は紙一重の存在
『県警対組織暴力』の公開から35年後、DVDで初めて観た女性作家が、ヤクザ映画の傑作に小説で挑んだのが『孤狼の血』なのだ。
柚月 書き出す前に広島に取材に出かけ、原爆資料館(広島平和記念資料館)で何もなくなった原爆投下後の広島の光景を見て、東日本大震災後の故郷の景色を思い起しました。あの震災で私は両親を亡くしたんです。
資料館から外に出ると、高層ビルが建ち並び、車が行き交い、人々が笑っている。ここまで来るのにいったいどれだけの辛さと涙と力が必要だったんだろうと思いを馳せ、広島の人々が持つパワーを描きたいと思いました。舞台を広島県呉市(小説では呉原市)にしたのは、その町に行ったとき、釜石と同じ鉄の匂いがしたからです。当初は終戦直後の広島を舞台にしようと思っていたんですが、『仁義なき戦い』とかぶってしまうことや、戦後を描くともはや「歴史小説」になってしまうという編集者の意見もあり、1988年――戦後の匂いを残しつつ、ヤクザがまだ力を持っていた、暴対法(92年)施行直前の時代の呉を舞台にしました。
発売元 東映ビデオ株式会社
販売元 東映株式会社
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source : 文藝春秋 2022年4月号