120頭以上を獲った男のモットーは「いるから撃つ」
ヒグマと人間社会との間で
「118頭まで数えてたのは、オレも覚えてる。それが7、8年前。それから毎年獲ってるから120は超えていると思うけど……途中からわからんくなったな」
これまでに仕留めたヒグマの数を問われたハンターは、そう言ってあっけらかんと笑った。
彼の名は赤石正男(69)。
道東・標津町にあるNPO法人「南知床・ヒグマ情報センター」の「業務課長」として、ホームページのプロフィール欄にはこうある。
〈ハンター歴45年のベテランハンター。知床半島先端部から阿寒連峰までは、踏破。ヒグマを追っての単独狩猟歴は、トータルで120頭を超える。遠射、罠を使用しての捕獲は国内有数のエキスパート〉
彼のことを“現役最強のヒグマハンター”と呼ぶ人もいる。
赤石氏
昨年、北海道におけるヒグマによる死傷者は、統計の残る1962年以降で、史上最悪となる12人(死亡4・重傷6・軽傷2)を記録した。
ヒグマと人間社会との間で今、何が起きているのか。その軋轢の最前線でヒグマと対峙するハンターたちは何を考えているのか——。
こうした本連載のテーマを掘り下げる上で、私がどうしても話を聞きたかった相手が赤石だった。
その第一印象は、歴戦の猛者というよりは、痩躯の内に飄々とした精気が揺蕩う職人を思わせた。
赤石が初めてヒグマを獲ったのは、成人して散弾銃を持てるようになってすぐのことだった。
「初めて銃持った年の10月に、いきなり自分ちの畑で獲ったよ。親子連れで『獲ってください』ってウチの方に歩いてくるもんだから、撃ってやったのさ。それが始まりだな」
それから50年以上、今に至るまでヒグマを獲らなかった年はない。
800m先のクマを撃った
世のハンターの大半はヒグマを獲ることはおろか、姿さえ見ずに狩猟人生を終えるというのに、なぜ赤石は獲り続けることができるのか。
その秘密を探るべく、こんな質問からインタビューを始めた。
——これまでに獲ったクマで一番、手強かったのは?
「そんなのいねぇな。どれちゅうことないんだ。いつでも獲るから」
その口調にまったく気負うところはないが、取材者としては出鼻を挫かれた格好だ。すると、
「この人はさ、エスキモーとかイヌイットみたいなもんだから」
横から“助け舟”(?)を出したのは、南知床・ヒグマ情報センターの理事長、藤本靖(60)だ。藤本は2000年に同法人を立ち上げ、世界有数のヒグマ生息密度を誇る道東地区においてヒグマの行動調査と、問題個体への対策に取り組んできた。
赤石にとっては参謀役といえる人物だが、藤本自身は「もとはさ、赤ちゃんに『シカ撃ちに行くから、お前、運転手すれ』って言われて、同行したのが最初だから」と笑う。
40年近く前、その最初の猟で、藤本は赤石の凄さを実感する。
「まず山を歩くスピードが尋常じゃない。オレらの2倍だから。それと普通の人とは眼が違うね。赤ちゃんに『ほれ、あそこにシカいるべ』って言われても、全然わからなかった。300メートル離れた林の中のシカの角を見分けて撃つからね」
300メートルといえば、例えば東京駅丸の内口から、皇居外堀の手前ぐらいまでの距離だ。ちなみに普通のハンターの射程はだいたい100から150メートルくらいだという。
「見えるだけじゃなくて、見てるところが普通の人と違う。以前も車の中からシカ見つけたときに、赤ちゃんが『これ、おかしいぞ』って言うんだわ。普通、こういうときシカは車を見るはずなのに、こっちにケツ向けてるのは、他に気になるものがあるんだろう、と。しばらく見てたら、予想通りクマが出てきて、あっさり獲っちゃった」(同前)
いったいどれくらいの距離まで撃てるのか、と赤石に尋ねると、やや鼻白んだ様子で「バカな話するでねぇよ」と笑われた。
「撃てって言われたら、(窓の外の遠くを指さして)あの鉄塔のところだって撃つさ」
藤本も「過去の最長不倒だと、オレらの前で810メートル先のヒグマを仕留めてるから」と頷く。
我々素人は、射撃というと獲物に向かってまっすぐ飛んでいく弾道をイメージするが、実際には物理学の法則により、銃弾は放物線を描いて落ちていく。従って射撃に際しては、その落下の幅を計算する必要がある。距離が遠くなれば、落下幅も大きくなり、また途中で風の影響なども受けやすくなるので、かなり繊細な微調整を瞬時に行わなければならない。
だから赤石は狩猟歴50年を超えた今も、2時間余り車を走らせて、網走にある射撃場へと通う。射撃場に通うハンターは実は珍しい。山の中に的を持ち込み、それを撃つことで「射撃練習」を済ませるハンターの方が多いからだ。
「今みたいなレーザーの距離計がなかった頃でも、オレは射撃場に巻き尺を持ちこんで、距離と弾道の変化を研究してた。みんなからは『何やってんだ?』って言われたけどね」と赤石は苦笑するが、その弛まぬ研究心が並外れた射撃技術を磨いたであろうことは想像に難くない。
430キロの超巨大ヒグマと
「クマはオレと目合わせない」
ところで赤石と話していて、気づいたことがある。普段は朴訥とした表情に隠れて気付かないが、ふとした拍子に目を見開くと——。
見たことのない眼の色なのだ。
黄金色、いや琥珀色と表現すべきか。出来すぎているようだが、1番近いのは、野生動物の瞳の色だ。
この眼であれば、800メートル先のヒグマを撃てるだろうな、と思わされるものがある。赤石は言う。
「だいたい、クマはオレと目合わせないよ。山の中ですぐ脇をクマが通ったこともあるけど、そいつはこっちの顔も見ないで、スーッといった。絶対に気づいているはずなのに、知らんぷりするんだもん。350キロ近いデッカいヤツだったけど、あれは不思議だった。まぁ、いろんなクマがいるってことさ」
本当に「気づかないクマ」もいる。
「あるとき、仲間がクマを撃って逃がしちゃったんだ。それでオレが探しにいったら、ヤブの中を歩いてくるのが見えたのよ。『アララ』と思って、そのクマの後さ、ついていったんだ」(同前)
14メートルの距離で、ずっと後をついていくが、なぜかクマが赤石の存在に気づく気配はない。赤石は赤石で「困ったな、どこ撃つかな」と悩んでいたという。
「オレはクマを撃つときは、頭か首しか撃たない。『クマの急所はアバラ三枚下』っていう人もいるけど、そんなところ撃ったら、100メートル離れてたって、あっという間にぶっ飛んで(反撃して)来るよ」
だが後ろからでは、頭も首も狙いようがない。そこで——。
「耳の穴を狙ったのさ」
放たれた銃弾は過たず、右の耳から入って、左の目から出ていった。
「そんなところ普通は撃たねえよ、誰も(笑)。でも、オレは目玉撃てって言われたら撃てるから」
もっとも、並外れた視力と射撃技術だけで獲れるほどクマは甘くない。熟練のハンターであっても、思わぬ反撃で命を落とすことはある。
親子グマが危ない理由
「昔、羅臼にTさんというハンターがいてね」
赤石が語り出したのは、クマ撃ち名人と称されたあるハンターの身に起きた37年前の事件だった。
当時の釧路新聞は、〈クマに襲われハンター死ぬ〉という見出しで、事件の概要をこう報じている。
〈クマ撃ちに行くと出掛けたまま(*一九八五年四月)二十二日夜から行方不明となっていた羅臼町のハンターが二十三日早朝、羅臼町海岸町ハシコイ川八百メートル上流、通称“マルクラ”の沢で死体となって発見された。死亡していたのは羅臼町(*住所略)、ミンク養殖業、T(*記事では本名)さん(63)。死体の頭部や顔にはクマのツメでひっかかれたようなキズがあり、死体から六十メートル離れた地点にライフル銃が放置されていた〉
赤石は遺体発見の翌日、地元猟友会で組織された捜索隊に加わった。
現場の沢には残雪が多く、両側は切り立って見通しが悪い。残雪の上には、Tさんとクマの血に染まった足跡が入り乱れて惨憺たる有様だったという。その痕跡から、Tさんは子連れのメスのクマを撃ったものの一発で仕留めきれずに、反撃を受けたものと見られ、親子グマは、上の方へ逃げたと推測されていた。
「ただ、みんなは上に逃げたと言うんだけど、いくら探しても、その痕跡がない。変だな、と思ってもう一度、丹念に探したら、上じゃなくて、案の定、すぐそばにあった」
新たに見つかった痕跡は、Tさんを襲ったクマがまだ現場付近にとどまっていることを示していた。赤石らがその痕跡を辿り始めたところ、突然、猟犬が吠え出し、遺体発見現場から70メートルほど上方の笹ヤブから、クマが姿を現した。
間髪を入れず、捜索隊のメンバーの1人がこれを撃ち、赤石はクマが潜んでいた笹ヤブに入った。
「撃たれてまだウネウネ動いているヤツをふんづかまえて、下に叩き落としてやったよ」
体重80キロのメスだった。Tさんの撃った銃弾は腹部を貫通、横隔膜を破って背骨の横から出ていた。
「上にいるクマを下から撃ったが、致命傷にならず、駆け下りてきたクマの反撃を受けたんだろう」
80キロはクマとしては小柄な部類だが、子連れとなれば、その危険性は若いオスの比ではない。
「なんでそのクマが現場にとどまり続けたかというと、コッコ(子熊)を待っていたからだよ。恐らくTさんと闘っている間にコッコが離れちゃったんだろう。そういうとき、あいつらは1週間でも2週間でも現場にとどまって、コッコが戻ってくるのを待っているんだ」
だから親子グマは危ねぇんだ、と赤石は呟いた。
羅臼町
行動パターンを覚える
赤石の「いつでも獲る」という言葉の裏には、その自負を支えるだけのディテールの積み重ねがある。
「猟期になったからって、いきなり山行ったって獲れないんだ。前の年の秋から山を歩いて、クマの好むどんぐりの植わり方とか、実の生り方とか、沢の1本ごとに全部頭に入れておかないとダメだ。オレはこの辺りにいるクマは一匹一匹、食べ方とか歩き方、行動パターンまで、全部覚えてる」
山で足跡を見れば、「ああ、あのクマだな」と分かるから、その行動も予測できる。だから獲れる。
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source : 文藝春秋 2022年4月号