安倍さんに初めてお会いしたのは、十数年前、英国の要人を囲む食事会においてであった。英語が用いられたが、安倍さんはデリケートな内容になると誤解を避けるため日本語で話し、連れて来た女性通訳が同時通訳した。同時通訳の英語にはいつも不満を覚える私だが、この女性は安倍さんの意を的確に汲んで、実に巧く訳した。これ以上の通訳に会ったことはない。ちなみに安倍さんの海外でのスピーチは、彼の思想とその国への期待を、理路整然としかも心情に訴える見事なものばかりだったから、天才的スピーチライターも有していたはずだ。すごい人材を周りに配していたのは流石だった。
2005年に『国家の品格』が出版された後、安倍さんと若い議員達の勉強会に何度か招ばれた。ある時、私は彼が小中高大と通った成蹊学園のそばに長く住んでいると言った。「実は、息子だけは品をよくしようと、成蹊と学習院の小学校を受験させました。両親面接で試験官に『志願書にお父さんは著作もされるとありますが、どんな御本をお書きになるのですか』と聞かれたので『くだらない本です』と答えました。息子は不合格でした。女房に『あなたがバカなことを言ったからよ。独創的なことを言うのは勝手だけど、私の子供を犠牲にしないで』となじられました。私の子供でもあると思うのですが」と言ったら、安倍さんは爆笑した。この勉強会では冒頭に小講演をよく頼まれた。「対中国では、日本とインドの絆の構築が重要かと思います。中国の最も嫌がることです。文化、経済、安全保障の順に絆を深めて行くとよいのでは」とか、「対アメリカでは、英国と日英同盟に近いものを結び、太平洋ではなく大西洋経由でアメリカに対峙すると、バックの英国の存在により対米従属が緩和されるのでは」などと持論を述べたことを覚えている。
彼が2012年に第二次安倍内閣を作ってからは、超多忙のせいか会うことがなくなった。避けられていたのかも知れない。私は常日頃から安倍さんは外交や安全保障において天才的と賞讃していたが、経済政策に関しては批判的だったからだ。第一次内閣は小泉首相から禅譲されたものだったせいか、義理人情に厚い安倍さんは、小泉竹中政権の旗印、新自由主義をそっくりそのまま踏襲した。財政支出を削減し公共投資を縮小させ、規制緩和により成長力を高めるというとんでもない政策で、結果として地方を一気に衰退させ20年余りにわたるデフレ不況を定着させた。この政策はその後の福田、麻生、民主党など各政権でも保持された。5年の雌伏期を経て生まれた第2次安倍内閣には期待した。だから安倍さんがアベノミクスを掲げた時はさすがと思った。
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source : 文藝春秋 2022年9月号