ジェームズ・カーン
©PARAMOUNT PICTURES/Album/共同通信イメージズ
ジェームズ・カーンの訃報を聞いたとき、だれもが思い出したのは、ソニー・コルレオーネの姿ではないだろうか。
カーンは、『ゴッドファーザー』(1972)に出てくるコルレオーネ家の長男ソニーを演じた。体格がよくて気が荒く、すぐに暴力をふるう男だ。殴る蹴るは日常茶飯事で、肉欲も人一倍強い。コルレオーネ三兄弟のなかでそういう役回りを委ねられたのは彼ひとりだった。
妹の結婚式で愛人と別室に消え、うめき声を漏らす場面も野獣的だが、参列者の車のナンバーを調べる捜査官の写真機を叩き壊す場面はさすがの暴発力だ。
もっと強烈なのは、妹に家庭内暴力をふるった夫をごみの集積場でぶちのめし、サッカーボール・キックを何発も見舞うシーンだろう。半死半生にされた男は怨みを抱き、敵対する組織にソニーを売る。その結果が、あのあまりにも有名な、高速道路料金所での虐殺シーンだ。ソニーは文字どおり蜂の巣にされる。
コルレオーネ家の末弟マイケル(アル・パチーノ)の非情や冷徹が際立っていただけに、ソニーの暴走と短慮は観客の眼に焼き付けられた。衣紋(えもん)掛けのように張った怒り肩や面積の異様に広い胸毛も、ソニーの体質を強調した。「聞き分けのない獣」のイメージは、そこから広まる。だが果たしてカーンとは、そこに集約されてしまうだけの俳優だったのか。
ジェームズ・カーンは1940年、ニューヨーク市のブロンクスに生まれた。両親はユダヤ系。ミシガン州立大学からニューヨーク州のホフストラ大学に転校したとき同級生だったのが、あのフランシス・フォード・コッポラ監督である。
コッポラとカーンは、『ゴッドファーザー』の前にも協働している。69年に公開された『雨のなかの女』がそうだ。
主人公は、夫との生活に疑問を抱き、家を飛び出した女ナタリー(シャーリー・ナイト)だ。ステーションワゴンを西へ走らせる彼女は、ヒッチハイクをしていた青年キラー(カーン)を拾う。フットボールの試合中に頭部を強打したため、キラーは脳に損傷を受けている。彼を乗せて走りつづけるナタリーは、ネブラスカ州で面倒な事態に遭遇する。
原題のThe Rain Peopleとは、「身体が雨でできている人々」を意味する。彼らは「泣くと全身が涙になって溶けてしまう」存在だ。映画は、そんな人たちの言動を見つめる。髪を短く刈ったキラーは、ナイーヴとかイノセントとかいった常套句に収まらぬ善良さと危うさを混在させ、朴訥な大型犬のようにナタリーのあとをついてまわる。話の行方で見るよりも、不安定な人々の言動とアメリカの田舎の風景とが交錯する映像に身を浸したくなる作品だった。
その印象が強かったためか、私が好感を抱くカーンの映画は、どちらかといえば、話の整合性よりも「気配」を前面に押し出した作品が多い。
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