自選した短歌六首とともに作家生活を振り返った
1987年、県立高校に勤める若き国語教師が編んだ1冊の歌集が、社会現象となった。当時、24歳だった俵万智さん(54)の『サラダ記念日』だ。鮮烈なデビューから30年の節目に、当時の喜びと戸惑い、出産、石垣島への移住、そして中学生になった息子への思いを語った。
短歌を作り始めたのは早稲田大学にいるときです。
いまも師と慕う佐佐木幸綱先生(79)の授業がとても面白くて、先生が作った短歌を読んでみたら、私がイメージする短歌とはまったく違うものだったんです。例えば〈なめらかな肌だったっけ若草の妻ときめてたかもしれぬ掌(て)は〉には、「だったっけ」という口語と「若草の」という古風な言葉の組み合わせがある。また、〈サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝(なれ)を愛する理由はいらず〉の「サキサキ」という音にも心を惹かれたのを覚えています。佐佐木先生の歌を通じて、短歌は“今”を表現する手段なんだとわかり、自分も作ってみたいと思ったんですね。
実際に短歌を作ってみたら見事にハマってしまいました。先生から「(作品を)数多く作ることで五七五七七のリズムを自分のものにできる」と教えていただいたので、大学時代からデビューするまでは、とにかくたくさん作っていました。作れば作るほど「五七五七七」というリズムが、自分の言葉を“生かしてくれる”と感じられるようになったのも楽しかったですね。
小さい頃から言葉には興味がありました。絵本を読んでもストーリーではなく、不思議なキャラクターの名前や、「チョキン」「パチン」「ストン」といった擬音語に惹きつけられた。その響きを声に出して読むのが楽しかったんです。だから短歌に出会った時、「自分にピッタリな表現手段だ」という喜びに満ちあふれた気持ちになったのだと思います。
1985年に大学を卒業して、神奈川県立橋本高校の国語教師になりましたが、創作のペースは落ちませんでした。この時期の歌で、佐佐木先生に二重丸をつけていただいたのが、〈「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの〉です。私としては何気ない歌だったので、「えっ、これが二重丸?」と驚いたのですが、『サラダ記念日』に収録されると、「カンチューハイ」という単語に意外性があったからか、非常に注目される一首になりました。やはり自由な佐佐木先生の指導を受けたからこそ、歌人・俵万智があるのだと思います。
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source : 文藝春秋 2017年12月号