東京工業大学教授、筑波大学教授などを歴任した川喜田二郎氏(1920〜2009年)は、同人のイニシャルを付したKJ法という独自の発想法を提唱し、社会に大きな影響を与えた。黒鉛筆またはペン、赤・青などの色鉛筆、クリップ、輪ゴム、名刺大の紙片などを用いてデータを整理し、カードを一面に広げ、着想を得るというローテクの技法は、パーソナルコンピュータが普及している現代では時代遅れだ。しかし、川喜田氏の発想法自体は、現在でも十分に通用する。それは川喜田氏の方法論が優れているからだ。
川喜田氏は総合的思考の重要性を説く。
〈この発想法は、分析の方法に特色があるのではなく、総合の方法である。はなればなれのものを結合して、新しい意味を創りだしてゆく方法論である。分析的な方法だけではわれわれの世界は不十分である。その意味で、国際的にも国内的にも、人間が、あるいは民族や国民が、はなればなれになってゆくような状況に対して、逆にそれを結合してゆく方法としてとりあげることができるのである。〉
「黒犬は黒い」というのは分析的判断だ。なぜなら「黒犬」という主語に黒いという意味が含まれているからだ。これに対して「黒犬は利口だ」というと総合的判断になる。「黒犬」という主語に利口であるという意味は含まれていないからだ。総合的判断を行うためには、外部から情報を得なくてはならない。外部からどのようにして真実に近づくための情報を得るかという試みがKJ法なのである。
さらに川喜田氏は、繰り返し実験が可能な法則定立を目的とする科学と、実験が不可能なので頭の中での抽象を通じて個性記述を目的とする科学を区別する、新カント派の伝統に立っている。
〈実験室のなかで研究対象になる自然は、なんども繰り返して再現することができる。反復が可能である。すくなくとも研究目的に対しては、反復が可能として扱ってよい。それに対して野外的自然は一回性を帯びている。これは歴史的に二度と同じ状況が繰り返されないことを意味する。またそれとおなじ現象がおこることは、他の地域ではありえない。場所的一回性がある。つまり歴史的、地理的一回性を帯びている。これは別の言葉でいうなら、個性的な自然ということもできる。/たとえばフランス革命は歴史上、一度しかおこらなかった。おなじようなことはそれ以前にもけっしてなかったし、これから先にも二度とはおこらないだろう。また北海道は地球上どこにもない地域で、北海道だけにしかない、一回性的、個性的なものである。また、ある会社や職場で、ある特定の意地の悪い部課長がいるという現場の状況は、ここのほかに世界中どこにもない。それがありのままの自然、あるいは野外的自然というものなのである。/このような野外的自然を研究の対象にしなければならない必要性がある。学問でいっても、たとえば歴史学でフランス革命を研究する。それは一回性的、個性的なもので、もう一度それがおこるという可能性はないが、しかもそれを対象に研究しなければならない。あるいはまた、経営学のコンサルタントがある企業、職場を研究する。その職場は、そこだけにしかない野外的自然であり個性的な世界である。しかもひじょうに複雑な世界である。これを研究するのが、野外科学と呼ぶにふさわしい分野であり、またそれにふさわしい研究方法が求められなければならない。〉
新カント派の伝統
KJ法は個性記述的な科学の方法論なのである。大正教養主義で新カント派は日本のアカデミズムに強い影響を与えた。筆者の理解では、1980年代にポストモダニズムの思想的嵐がアカデミズムを襲うまでは、日本の大学は新カント派的思考の上に成り立っていた。ポストモダニズムの結果生じた過剰な相対主義とシニシズムにより沙漠のようになってしまった大学を活性化させるためには、もう1度、新カント派の伝統に立ち返る必要がある。その意味で『発想法』を大学で取り扱う意味があると思う。
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source : 文藝春秋 2017年08月号