思想には2つの形態がある。1つは学術的思想で、もう1つは通俗的思想だ。
学術的思想については、1978年生まれの哲学者・千葉雅也氏が『勉強の哲学――来たるべきバカのために』の中で述べている「深い勉強」が必要となる。
〈深くは勉強しないというのは、周りに合わせて動く生き方です。/状況にうまく「乗れる」、つまり、ノリのいい生き方です。/それは、周りに対して共感的な生き方であるとも言える。/逆に、「深く」勉強することは、流れのなかで立ち止まることであり、それは言ってみれば、「ノリが悪くなる」ことなのです。〉
一昔前の表現に言い換えると「知識人(インテリ)になると周囲から浮き上がる」ということだ。確かにその通りだと思う。さらに千葉氏は、勉強する上でもっとも重要なのは言語の使い方であると強調する。
〈言語は、現実から切り離された可能性の世界を展開できるのです。その力を意識する。/わざとらしく言語に関わる。要するに、言葉遊び的になる。/このことを僕は、「言語偏重」になる、と言い表したい。自分のあり方が、言語それ自体の次元に偏っていて、言語が行為を上回っている人になるということです。それは言い換えれば、言葉遊び的な態度で言語に関わるという意識をつねにもつことなのです。〉
千葉氏のこの指摘にも筆者は全面的に賛成だ。
このような学術的思想に対して、蓄財、出世、名声などの世俗的価値を実現することを目的にした通俗的思想がある。江戸末期に勤勉と努力を説いた二宮尊徳や、商業利潤の正当性を説いた石田梅岩などがその典型例だ。単行本が2007年、文庫本が11年に上梓され、累計で300万部を超える自己啓発書『夢をかなえるゾウ』も、この系譜に連なる通俗的思想だ。この種の思想は、言葉遊び的な態度を嫌い、実践を説く。主人公は子どもの頃、建築家になる夢をもっていたが、現在はそれとは関係のない有名企業につとめている。自分を変えようと思ってインドに行ったときにヒンドゥー教の神々の1つ、ガネーシャの像を買った。肥満し、腹の出た人間の身体に、片方の牙が折れた象の頭を持った神だ。ガネーシャに商売繁盛、学問成就を願うと効果があるという。ある夜、有名人のパーティーで深酒をして帰宅した主人公は、朦朧とした意識の中でガネーシャの像に自分を変えたいと願をかける。すると翌朝、ガネーシャが現れ、主人公のアパートに住み着く。このガネーシャによる「靴をみがく」「コンビニでお釣りを募金する」などといった課題を消化していくことで主人公は自分を変え、幸福になることができるだろうか。この過程を読者と共に進んでいく。最後にガネーシャが消えていくところでは、読者も主人公と共に「まだ行かないでくれ」と頼みたくなる。構成も優れているし、ガネーシャは関西弁で話すなど文体も凝っている。ただし、最も重要なのは、通俗的思想の特徴であるが、言葉よりも実践を強調することだ。
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source : 文藝春秋 2017年07月号