和食のうま味を世界が認めた

村田 吉弘 菊乃井代表取締役
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日本料理が広まれば食材の輸出も増える
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村田氏

「和食を科学する」

 来る10月17日、京都の名立たる料理人を13人ほど引き連れてパリのルーブル美術館で、和食イベント(一般社団法人『北前船交流拡大機構』主催)をおこないます。われわれは料理をするだけですが、パリのスーパーシェフたちが「手伝いたい。うちの店を使うてくれ」言うてくれ、興味を持ってくれています。

 和食を日本文化として世界に残す。これが僕らが長年追いかけてきた大きなテーマです。農林水産省や日本政府に働きかけて2013年、和食が日本人の伝統的な食文化としてユネスコの無形文化遺産に登録されました。和食を世界の三大料理(中華料理・フランス料理・トルコ料理)に並ぶ食文化として世界に広めたい。言うたら、今度のルーブルでのイベントもその一環ですねん。

 和食を文化遺産登録できただけで、世界に5万6000軒しかなかった日本料理店が3倍の16万8000軒に増えました。そんだけ世界中で日本料理をつくろう思う人が増えたいうことでしょう。その料理人たちは間違いなく日本食材を買うてくれます。世界中に日本料理店ができたら、農産物の輸出も増えます。

 なにしろ日本は外圧に弱い国ですから、世界が和食を文化遺産と認めたとなれば、政府に対しても日本料理が文化だといえる。ただし世界で日本料理が流行っているいうても、その大半はすし屋ですから、まだまだでしょう。

 せやから僕らは日本料理アカデミーで「日本料理大全」いう全6巻の本を英語で出版しました。ほんまはそれを国連の常任理事国5カ国全部の言葉に訳して出したいけれど、資金があらへん。農水省に頼んでも、金を出すポケット(予算枠)がない、いうからそこまでできへんのです。

 京都市東山区にある名門「菊乃井」の3代目店主である村田吉弘(70)は、ミシュランガイドから三ツ星を与えられた数少ない和食の達人である。一般社団法人「全日本・食学会」やNPO法人「日本料理アカデミー」の理事長を務める。村田の掲げる大きなテーマが「和食を科学する」だ。

 青菜をゆがくとき、野菜の青みが鮮やかに出る思て、鍋に塩を入れはる。ところが今の食塩では青くならん。なんで青くならんか。

 野菜はクロロフィル(葉緑素)が塩化マグネシウムに反応してはじめて青うなる。海水を煮詰めてつくっていた昔の塩には、塩化マグネシウムが含まれていましたから、野菜が青うなった。塩化マグネシウムは苦汁(にがり)の成分でもあるので、苦汁を入れても青なります。そやけど、今の食塩は化学的に精製されるんで、マグネシウムがとりだされとる。ほとんど塩化ナトリウムやさかい、いくら鍋に入れても、野菜の青みが出るわけがないんです。そんな塩梅で、200年ある日本料理の常識は間違いだらけですねん。

 昔の板前は「親方のやり方を見て盗め、オヤジ以外信じたらあかん」と言われ、何もわからんままやってた。親方から指示されて逆らうことなんかできなんだ。けれど、実は今ではそれが間違いだらけなんです。たとえば食材をゆがいて青くしよう思うたら、銅鍋を使えば一発です。銅がクロロフィルを引き出すから、茶色の昆布も青なります。

 そこで日本料理アカデミーではまず、昔の親方の勘と経験を数値にしなあかん、と和食のバイブルをつくろうとしました。肉の焼き具合に応じた中心温度、表面温度を測り、「こういう焼き方、火の通し方をしないかん」とレシピをつくる。たとえば肉や魚は備長炭で焼くからうまいんと違う。備長炭のメカニズムが魚や肉をおいしゅうするわけですから。

 よく料理の本なんかには、焼く前に「薄塩をする」と書いていますけれど、「薄塩ってどんな塩?」って言われてもわからへん。それでは料理の教科書にならへん。

 それは科学で解明せえへんとわからへんのです。薄塩は全体量の1%の塩だから100グラムなら1グラム、濃い塩をせえ、て言われたら3%。それなら誰でもわかる。せやから日本料理アカデミーには科学者と料理人の両方がいて、いっしょに料理を検証しているのです。

 村田は京都・立命館大学産業社会学部を卒業し、「菊乃井」を継いだ。日本料理アカデミーでは、京都大学の伏木亨名誉教授(甲子園大学副学長)がパートナーになっている。

 僕は高校時代からヨット部で国体に出て、立命館大でもヨット部にいてました。先生は京大ヨット部。そやから学生時代も琵琶湖の上で会うてるはずですけど、京大生なんかと口を利きたないし、当時は知りませんでした。ほんで、あとから知って「ヨットマンに悪い奴はおらへん」と互いに意気投合しましてね。伏木先生は京大農学部の教授やったから、大学の中に僕らのラボをつくらせていただきました。

「これからは若い人を育てなあかん、料理人は勉強せなあかんし、世界的にどう出ていくか、考えなあかん」

 と今から18年前、伏木先生といっしょに日本料理アカデミーを立ち上げたんです。せやからアカデミーには先生のお弟子さんもぎょうさんいてます。科学した数値で日本料理を世界中に発信すれば、伝わるでしょ。世界の料理人たちが日本料理の本を買うて勉強したら、和食のすごさもわかってくれはる。

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赤坂 菊乃井の入口

菊乃井の由縁

 村田は和食だけでなく、フランス料理にも精通している。それは大学在学中、フランスで料理修業をした経験があるからだ。1912(大正元)年創業の「菊乃井」の歴史を振り返りながら、自らの体験を語る。

 僕は「菊乃井」の3代目いうことになってますけど、店はもっと古いんです。僕から遡ること22代前、北政所が大坂城から高台寺に移られたとき、先祖が茶坊主としてついていった。「菊乃井」いう店名は北政所が使った御用水の井戸の名で、村田家が代々井戸をお守りし、偉い人に茶懐石料理を振る舞ってきました。それが「菊乃井」の発祥です。

 明治維新になって庶民が高台寺の井戸の水を飲むことを許され、僕から遡る6代前が茶坊主は要らん、いうてリストラされた。そのあと大正時代に僕の祖父さんが店を再開した。

 ほんで僕が祖父さんから数えて3代目。立命館大3年生のとき店の跡を継ぐ決まったレールが嫌になり、フランス料理のコックになろ思うて、フランスに渡りました。パリの裸電球一つしかない屋根裏部屋のアパートに住んで、向かいの部屋が上柿元勝さん。上柿元さんは(高級店)「アラン・シャペル」で修業し、のちに日本のハウステンボスホテルズの総料理長になりました。僕はコッペパンをかじりながら週に1度フランス料理店に通い、店の人と親しくなって厨房に入れてもろたんです。

 ところがレストランの厨房では、大きな鹿や鴨をさばいて鴨の血をパンにつけて食うとる。僕らは鴨を見たら治部煮や鴨ロースしか考えへんけど、彼らは鴨にオレンジソースをかける。そんな発想はでけへんな思いました。それからリュックを背負ってヨーロッパ中をまわり、いろいろ食べ歩いた。けど、結局、僕は日本料理の目でしか食べ物を見られへん。ほんでフランス料理はやめや、思うて日本に戻ってきました。

 帰国した村田は「菊乃井」を継ぎ、3代目店主として世界的な料理人となる。と同時に、村田は和食を世界に広めようと活動を続け、日本料理が世界で認められていった。ただし一朝一夕にそうなったわけではない。どうやって認めさせたのか。

 日本料理はヨーロッパから見たら、つい最近までアジアのエスニックくらいにしか思われていませんでした。それくらいの差がありました。けれど中華料理は、世界中のどんな田舎町にも店があります。アメリカの端に行っても、ちゃんとある。

 日本料理が世界の人々の口に合うかどうかわかれへん。そやけど、極東のエスニカンがつくる少数民族料理、てバカにされる存在でもないやろう。僕らは長いあいだ、もっと正しい位置で日本料理を見てもらいたいと願うてきた。和食を世界に広めよういうより、遺恨を晴らすつもりでやってきたようなもんですわ。

 そのために日本料理アカデミーをつくりました。設立から19年目に入りましたが、始めた頃の日本料理は斜陽やったんです。今でこそ三ツ星をとって有名になっている京都「一子相伝なかむら」の中村(元計)君も、「今日は、2組しか客がいてません」とこぼしていました。どこも似たようなもんでしたから、何とかせんならん、て思うたんです。

 そうして日本料理アカデミーを立ち上げ、フランスのシェフとの交歓会をおこなってきました。最初はなかなか来てくれへんかった。せやけど、フランスに帰った料理人たちから「すごいよかった」いう声が広まりましてね。いつの間にかぎょうさん料理人が来るようになりました。今はやめましたが、毎回5~6人は来てくれはる。その分、僕らもぎょうさん金を使いました。だいたい1回に800万円ぐらいかけ、茶室を体験させたり、お花の稽古をさしたり、日本の店でスタジエ(現場研修)させてしてきました。

 デンマーク「ノーマ」のレネ・レゼピやイギリス「ファット・ダック」のヘストン・ブルメンタール、ブラジルのアレックス・アタラ、フランスのパスカル・バルボやセバスチャン・ブラス、マウロ・コラグレコ……。三ツ星の彼らがまだぺエペエの頃に日本にやってきて料亭の厨房に入ってました。それで感動して帰っていきました。

 村田がそこまでするのは、別の理由もある。

 現在、日本には1億2500万の人がいますが、50年後には8000万人に減ります。60歳以上が45%になり、働く前の人が30%。つまり残り25%が75%の人を食べささんならん国になるわけです。食料自給率は、38%から19%に落ち込むと予想されています。アジアでも下から数えて、何番目かの貧乏な国になってまう。今の食料自給率のままやったら、日本はそのうち飢えて死ぬ人が出てきます。

 国内の消費がどんどん減っているなか、日本食材の生産は輸出していかんことには成り立たへん。せやから今のうちに輸出をいっぱいして農業を育てなあかんわけです。そうしておいて、いざ国内で自分らが食えんようになったら輸出をとめる。食料の自給率が60%にまで上がると、飢えて死ぬ人はいなくなります。

 まずは日本の食材を外国に売って生産量を減らさないようにしなあかん。そうすれば、コメも輸出できるし、農業も盛んになるでしょ。

 農業を育てる一環として、日本の休耕田を減らす取り組みも始めました。酒はコメからできますので、日本の酒を世界の酒にしたら、もっとコメ作りが盛んになる。50年後の子どもを飢えささへんためにどうすればええか。農水省はもっと長いスパンで食を考えてほしい思います。

世界のシェフがうま味に夢中

 村田は日本の食文化への功績を認められ、19年に文化功労者にも選ばれている。そこから一歩進んで和食を日本文化として世界に認めさせる。そのためにはやはり科学的な分析が不可欠だ、と話はそこに戻る。

 化学と物理は万国共通です。たんぱく質の凝固温度が国によって変わるわけあらへん。人間の食うもんやったら、必ず共通点があるはずです。お陰様で、今はヨーロッパの国々が日本料理にすごい敬意をもってくれはるようになりました。それはカロリーが低いのに、見た目がきれいで、非常においしいから。外国のように料理にあまり油を使わない。それでいてうま味がある。

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source : 文藝春秋 2022年11月号

genre : ライフ 社会 グルメ