日本の知性──小林秀雄と田中美知太郎

特別寄稿 文藝春秋と私

塩野 七生 作家・在イタリア
ライフ 読書 ライフスタイル

長い間私をはげましてくれた、二人の先達について

小林秀雄氏と田中美知太郎氏(右) ©文藝春秋

「文藝春秋」も九十歳になったのだという。それで今回は、「文藝春秋」とは深いかかわりを持っていた小林秀雄と田中美知太郎の御二人について話してみたい。ただし、日本の二大知性としてもよい御二人なので、彼らに関しての専門家の評論はすでに多い。それでここでは、私にとっての御二人に話をしぼることにする。

 この頃よく聞かれるのが、「あなたは小林秀雄の愛読者だったのでしょう」という問いだ。ところが私は、若い頃からの愛読者ではまったくなかった。二十代の後半には外国に出てしまったので、小林秀雄の影響力が絶大であったらしい時代の日本の文芸状況さえも知らなかったのである。

 それでも、何とはなしに好きだった。書きっぷりが好きだったのだ。タンカの連発、ケンカを売るに似た筆力、それらすべてが、斬れば赤い血が噴き出すかのような文体に結実している。私の彼への接近は、内容よりもまず、その書きっぷりにあったのだ。

 書きっぷりの壮快さだけでなく内容面でも小林秀雄に接近し始めたのは、『ローマ人の物語』を書き始めてからである。その中でもとくにカエサルをあつかった第四巻からは、私と彼との間隔は、私とマキアヴェッリの間隔に似てきたようだ。いつも身近にいてくれて、私がしばしば、あなたはどう思っているの、と問いかける間柄として。断っておくが、私は小林秀雄に会ったことはない。だから彼との関係は、彼の著作を通じての関係なのである。まあ、マキアヴェッリとだって同じことなのだが。

 この小林秀雄に私は、ユリウス・カエサルの『ガリア戦記』への評価をまかせることにした。あの下手な岩波版の翻訳を読んだだけでよくもここまで読み取ったと感心したほど、彼による評価は適切であったのだ。まさに「眼光紙背に徹す」の好例である。

 そしてもう一人、私が『ガリア戦記』の評価をまかせた人は、カエサルの文章の評言としても歴史的に有名で、カエサルの同時代人でもあった哲学者のキケロ。要するに私は、二千年の歳月をはさんでローマと日本に住んだこの二人を使わせてもらったことになるが、「使う」こと以上の敬意もないのである。そして、小林秀雄という「日本の知性」は、昭和三十四年から三十七年にかけて、「文藝春秋」誌上にかの有名な『考えるヒント』を連載したのだった。

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source : 文藝春秋 2013年01月号

genre : ライフ 読書 ライフスタイル